コロナ禍と共にスタートした2人育児 | UNFIGURE (with kids)

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ダンスアート集団UNFIGUREのブログです。
ダンスに明け暮れた波乱万丈の時間を経て、ただいま期間設定なしのブレークタイム。
生活は大きく変わりましたが、それでも日常は続きます。

少し時は遡り、2020年4月上旬のことを話そう。

里帰り出産で帰省していた大阪から、娘と息子を連れて自宅の埼玉に戻ってきた。

その2日後、1回目の緊急事態宣言が出た。

 

娘の通っていた保育園は、「可能な方は登園自粛にご協力をお願いします」から、「登園自粛してください」に変わった。

 

育児休暇中だったため、娘はしばらく保育園を休むことになった。

行け行けゴーゴーイヤイヤ期、の2歳の娘と、生後まだ2ヶ月になっておらず、バンバン頻回授乳期の息子。

予期せず3人で丸一日過ごすことになった日々が、2人育児の幕開けだった。

 

世界中が前例のない事態に不安や恐怖を感じていたことを考えれば実にやむを得ない状況だが、こたえたのは「不用不急の外出自粛」、「ステイホーム」だった。

 

これがひとり暮らしだったら、そうかよしきたと、ここぞとばかりDVDや漫画を借りまくってお家時間を満喫していたかもしれない。

 

しかし、2歳と0歳が一緒だとそういうわけにもいかない。

ずっと家にいては息が詰まるし娘も運動不足になるし、かといって、子育てママのお助けスポットである支援センター、児童館は閉館している。

 

同じ子育て中の友達と遊んだり、支援センターの先生や他のママさん達と「大変ですねー」なんておしゃべりできたら少し気がまぎれるのだが、それができない状況だ。

大人と関わりたい。子供達と過ごしているのに、孤独な気持ちがさらに自分を疲れさせていた。

 

特に子育てをするようになってから、いかに自分が話を聞いたり聞いてもらったりすることに助けられていたかと、気付かされた期間だった。

 

残された行き場所は公園だけだった。

小さい息子を抱っこしているので、娘と思いっきり走ったり一緒に滑り台したりできなくて、少しもどかしかった。

 

普段なら公園め初めて会ったママさんでも「何歳ですか?」「うちと同じですねー」なんて、他愛ない世間話ができたが、この時期はみなお互いに気を使ってか、そういうやり取りをすることはほぼなかった。

いやでも、公園に行けただけ良かった、と思った方がいいのかもしれない。

 

唯一の救いは、夫が9割ほど在宅勤務になったことだ。

時々でもチラッと部屋を覗いてくれたらそれだけでホッとするし、息子だけ短時間見てもらって、娘と公園に行けた日もあった。

 

4月末、登園自粛期間延長のお知らせが出た。

一瞬5月末までかと思ったが、延長期間は6月末までだった。

やむを得ない、やむを得ないが、一瞬クラッときた。

 

そこからさらに長く、長く感じた3ヶ月弱だった。

思い出は、あまりこれと言ってない。

休日にどこかへ出かけられるわけでもなく、夫の運転でただ走ることがメインとも言えるドライブに出ることが多かった。

その時だけ、息苦しさから逃げ出して解放された気分だった。

 

平日は1日1日を過ごすだけで精一杯で、毎日夕方には疲れのピークがやってくる。

夕食後、夫が戻ってくるまでの時間にはいつも電池が切れていた。

「お母さんはもう閉店です・・」と、何回言ったことか。

 

実はこの頃の息子の記憶が、あんまりないのだ。

生後2、3ヵ月のまだ小さい可愛い赤ちゃんだったのに、思い切り堪能できなかったのは、実に惜しい。

 

なんだかいつも胸元にくっついていた記憶はある。

抱っこ紐にスポッと入って娘と一緒に公園に行ったり、授乳したり。

 

なんだかよく泣いていた記憶はある。

 

市のお誕生訪問があった時、来てくれた保健師さんが「あれっ?大きいねー」と驚いて、慎重と体重を測り直された記憶はある。

 

娘はまだ2歳だったし、当時のことをよく覚えていないだろうと思う。

里帰り出産で一緒に帰省した期間に加えて、戻ってからもしばらく保育園を休んでいた間、ずっとお母さんと一緒にいられて嬉しかっただろうか。

 

そう思うだけで、しんどかった思い出がほんの少し救われる。

 

「専業主婦のお母さんは、日常的に未就園児2人と1日中過ごすことだってあるのに」

「2人どころか3人4人育ててるお母さんだっているのに」

疲れているとき、そんな風に自分を責める考えが浮かんだこともある。

でもたぶん、それは違う。

 

「他人がではなく自分」が、「今」、しんどいと感じているなら、ちゃんと弱音を吐いてもいいはずだ。

 

コロナ禍であるなしに関わらず、孤独は危険と隣合わせだと思う。

(もちろん、人と関わらない方が気楽に育児できるわって考え方も良し)

大切な誰かと会うことは、不急であっても不要ではないはずだ。

 

どうかもう、人との触れ合いが絶たれて寂しい思いをする人がいる事態にならないでほしい。

 

今だってまだ苦しんでいる人たちが多くいる中だからこそ、そう願わずにはいられない。

 

娘と息子が大きくなったら、「あの時大変だったんやで」って、ちゃんと伝えていきたい。

コロナ禍のことはきっといつか教科書に載るんやろな。

 

もうちょっとお気楽な感じに当時のことをまとめたかったけど、思い返すとやっぱり心身しんどかった時期なので・・

やや重ための文になってしまった。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

ほな、また~