ハムレット型人間 | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 ネット社会に距離を置き続けて、文章も原稿用紙に手書きで書くようにしていました。何の気分の変容なのか、デジタルな文章を久しぶりに書いてみたくなって、こうしてキーを打っています。

 とは言うものの、仕事でパソコン入力は避けられないのだから、デジタルを避けられないのが現実でした。嘘でもネット社会、デジタル社会から身を引いていたのだと思い込みたかったのです。

 

 ”世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる”

 

小倉百人一首にあったこのやまとうたが私の脳裏に響き続けています。

 こんな社会からは消えてしまいたい、どうしようもないとお考えて山奥にひきこもったけれども、そこでも鹿の鳴き声が聞こえてくるのだから、完全にひきこもることができていないことが、思い知らされるのです。

 

一体、私はいつまで生きているのだろうか。

それとも孤独から抜け出せる時が来るほうが早いのかだろうか。

 

シェイクスピアのハムレットは復讐を誓いながらも実行できずにいます。これを臆病と呼ぶのか、背後に正体不明の何かがあって、実行を踏みとどめているのか。

 直情型の人間をドン・キホーテ型、思慮深い人間をハムレット型と呼ぶそうですが、この二つの物語が表現しているものは、こんなに単純ではないと思うので、正しい分別の仕方には思えないのです。

 それでも私はハムレットに似ているのでしょうね。