独居籠城主義 | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

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空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 随分と昔のことになるのですが、NHKのテキストで「漱石先生の手紙」という印象深いものがありました。当時に購入したものは紛失してしまいましたが、このほど、どうしても読みたい、手元に置いておくべき価値があると考えまして、ネットで探し出しまして中古で取り寄せました。別に希少価値とかついてないので600円台でした。

 いざ取り寄せてみると、当時はEテレ用のテキストでしたから、ただの小冊子でしたけど、NHK出版はきちんとハードカバーで装丁しなおして出版していたことを初めて知りました。でも内容は全く同じなようです。

 

 改めて読み返してみると、秀逸な内容だった記憶がよみがえりました。値段以上の価値はありました。漱石先生の個人的な手紙をのぞき見しているのですから、罪悪感も感じますが、時効だと自分を納得させながら、その文章を浴びて、感慨にふけっています。

 

 その中で、「下宿籠城主義」という単語に奇妙なほど惹かれましたのでここに書き留めておきます。

 

 下宿籠城主義とは、夏目漱石が34歳(?)でロンドンへ留学した時の言葉です。文部省から命じられた2年間の留学で、目的は英語の習得、つまり語学留学ということでしょう。

 しかし、漱石は2年間という短い期間ではたいした英会話能力は身に着けられないと考え、とりあえずリーディング能力を鍛え上げようとしたようです。現地の書物を買いあさって、ロンドンの下宿で(いくつか引っ越したようですが)ひたすら読むことに決めたそうです。これを「下宿籠城主義」と名付けたとか。

 

 私が惹かれたのは、私とまったく同じ考え方だったことに驚いたからです。能力は漱石先生にはまったく及ばないと思っていたのですが、なかなかどうして、明治の文豪といえどもまったく異世界の住人ではなくて、同じようなことで悩んでいることに安心を覚えるのです。まあ、「ひきこもり」という被虐的な表現より「下宿籠城主義」だとなんかポジティブなイメージが湧いてきます。だから惹かれ気に入ったというだけの話でもあるのです。

 

ということで、今日も下宿籠城主義、でも下宿という表現は時代に沿わないので、「独居籠城主義」を今日この時間にも実践しているのです。