諦念と矜持 | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 私がこのブログで使用している「山桜」というハンドルネームですが、出典は小倉百人一首です。

その中の大僧正行尊の一首

 

ー もろともに あわれとおもへ やまさくら はなよりほかに しるひともなし -

 

 行尊は三条天皇の孫に当たり皇室の血を引く由緒ある家柄でしたが、出家して行尊となり、大僧正にまで昇ってはいるのですが、この歌は私の現在の心情に共鳴するため、引用しました。

 

この歌の意訳としては、

「山桜よ、私と一緒に憐れんでくれないか。君のほかに私のことを分かってくれる者はいないから。」

になるかと思います。

山桜を擬人化して語りかける形で、無念さを滲ませています。

 

またこの大僧正行尊の祖父である三条天皇(退位して三条院)の歌も百人一首に撰せられています。私は実の三条院の歌のほうが好きです。

 

三条天皇は時の権力者藤原道長によって退位に追い込まれ三条院が詠んだ歌

 

ー こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな ー

 

こんな生きていたくもない世の中で生きながらえたならば、今夜の月を恋しく思い出すであろう。

 

この世に失望した諦念と、それでも生きてしまう矜持、そのせめぎ合いが私と共振しています。