季節外れの感がありますが、ディズニー映画"Frozen"邦題「アナと雪の女王」からのセリフです。
"Do you want to build a snowman?"
ミュージカルアニメなので歌詞でもあり、「雪だるま作ろう?」と吹き替え版はなっていたと思います。
これはエルサに対してアナが言うセリフなんですが、今の私はエルサと重なってしまいます。
エルサは自らの能力(触れるものすべてを凍らせてしまう)を怖れて引きこもっています。もともと両親(王と妃)が隔離して育てていたのですが、両親が事故死してもそのままです。
自分が世界を傷つけてしまうことを避けるために引きこもっています。そんなエルサに対してアナは「一緒にお外で遊びましょう?」という意味で表題のセリフがあるのです。
このアナの言葉には未だに心が揺さぶられます。私がこのような言葉を使ったことがないからです。
どのような感覚なのでしょうか。純粋に出てきている言葉として心を動かされるのと同時に、エルサとしては心の痛む言葉になると思います。
私はこのセリフを言えないのですが、もし言われる立場であったならとも考えます。
"Let's build it with me."のように応えられるでしょうか。おそらく無理でしょう。そんなに簡単に凍り付いた心は融けません。
同じ雪つながりですと、誰かが私を起こしに来てくれるのを待っている、というのは"Snow White"(白雪姫)を想起させてくれます。毒リンゴにやられてしまう姿も他人事のように思えないのもあります。
私の物語の追い方というものは、すべてこのような調子なのです。私自身に重ね合わせます。架空の物語だけではありません。古典文学や文芸、短歌、俳諧、すべてそうです。
私を支えているのは知的好奇心だけではなく、寂寞として荒れ果てた心情です。孤立している私がストイックになる理由は、想像の中で知識、技術、能力を使っているのです。
好奇心を満たすだけではなく、想像の世界を作り出すことが目的なのです。
そしてそれを統合失調症の妄想だとされて投薬されていますが、私がなんとか作り上げた空想の世界を薬物で抑え込むことは、私の生きる術をつぶすことなのです。
社会的に非常識だから消し去ろうということですが、私が妄想をする理由には一切関心を持たないで、ただ消し去ろうとします。
治療者は「理解できないものは悪」が一般常識と言いますが、理解できないのではなく、理解する気がないのです。
10年以上通院してて、未だに対話をしたことがない医療。それを忙しいので仕方のないことだとする社会。
私は再びそんな社会の一員に入っていくことには自信が持てません。