私の話に興味がない医師 | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 私にとって、主にベンゾジアゼピン系の抗不安薬に関する身体依存は深刻で断薬することはできていません。そのため精神科には通院を続けています。

 

 主治医がどのような感覚で私に接しているのかはよく分かりませんが、私も彼の考えていることがよく分かりません。

 私は再三、メジャートランキライザーが私には合わないことを訴え続けてきました。強い副作用のため服薬に耐えられないこと、そもそも薬の作用により身動きが出来なくなれば即ち孤独死を意味することを伝えてきました。

 それによりその時はメジャートランキライザーの処方を中止するのですが、次回の診察時にはまたメジャートランキライザーを処方してきます。2週間に一度の頻度なのですが覚えていないのでしょうか。

 その精神科医は大学の教授を務めているのですが、薬に関する情報源も怪しいものです。

どこどこの精神科医が試してみて上手くいった例があるらしいという情報に基づくことが多いのです。

 私でも薬の名称は覚えているのですが、その医師は覚えていなく、向精神薬の事典を見ながらの処方です。

 ゼプリオンというパリペリドンの筋肉注射薬剤を勧めてきた時も、インヴェガ錠というパリペリドンのExtended-release(徐放剤)をすでに試していて失敗だったことを覚えていませんでした。私が教えないとゼプリオンとインヴェガが同じ薬剤ということに気付きません。その上で、デポ注射だと血中半減期が長いので副作用が出ると長時間苦しむことになると主張してようやく処方を断念してもらいました。

 この医師は60歳ぐらいなんですが、記憶状態が心配になるレベルです。この医師に出会ってもう15年くらい経ちますが、なぜこのような状態になってしまったのでしょうか。

 特に電子カルテになってタイピングに自信がないのか、カルテの記載もかなり簡素化しているようです。だから私のことをまったく覚えていません。常勤の大学教授ですから、クリニックでの診察は週に1回ですから、そんなに患者数も多くないはずですが。

 この記憶力減退の理由を私は推測しているのですが、おそらく的を得ているでしょう。

 

 ともかくも、私が生きているうちは不本意ながら服薬をすぐに断つことが出来ないので処方を受けています。それは苦渋の選択なのです。

 この世のさまを見たくないのでいっそこの目をつぶしてしまいたい。聞きたくないのでいっそこの両耳を塞いでしまいたい。アカシジアが不快すぎていっそこの脚を叩き潰してしまいたい。というように考え続ける毎日において、こうした医師に会うことが唯一の対話という現実を我慢していく自信がありません。