Thou must be patient. 耐え忍べ! | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

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空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

"Thou must be patient."

 ちょっと古い英語なんですが、どういう意味でしょうか。私が注目する単語は”patient"です。

名詞で使われる時は「患者」という意味になりますが、形容詞の時は「我慢強い」といった意味になります。

 

 ではこの文章の場合はというと、

”thou"は古文表記になってますが現代英語での”you"です。

① patientが名詞なら「あなたは患者になるべきである」

② patient が形容詞なら「あなたは我慢強くあるべきです」というようになるかと思います。

 

 この一文だけを見るとどちらでも良いと思います。

 私が主張したいことは、

「患者」=「我慢強い」という概念が存在するのでは?ということなのです。

 

実はこの”Thou must be patient."はウィリアム・シェイクスピアのKing Lear(リア王)から引用したものです。

 この文章の後には”We came crying hither."と続きます。

 ”hither"も古文表記であり現代英語の”here"ですね。

よって「我々はここに泣きながらやってきた」という意味になります。この後の文でリア王は「生まれてきた赤ん坊が泣くのは現世の空気を吸ったからだ」というので、この場合の"hiter"(ここへ)とは「この世の中」とするのが適訳なようです。

(シェイクスピアの作品を訳すのは400年ぐらい前の作品だけあって難解ですが)

 

 シェイクスピアの作品は中国古典でいう史記のような存在であり、その作品中の語句を引用する場合が多々あります。それだけ文化に根を張ってきたということです。

 

 となると、「患者」=「我慢強い」という概念も拡大解釈されがちで、「患者は我慢強くあるべきだ」という価値観が生まれてきても不思議ではないように思えます。

 現在の当事者努力論や自己責任論につながってきているのではないかと勘ぐってしまいます。もしそうだとしたらかなり根深い価値観となってしまっていることに納得ができます。

 

 「いつの世も我慢を強いられるのは弱者である」

 私はシェイクピアの作品にまだまだ詳しくありませんが、一部分の文章だけを見ても、こうした絶望感とのせめぎあいを随所に感じ取ってしまいます。広く長く読み継がれてきた傑作は、ただの物語ではないのでしょう。

 

 どんなに理不尽な扱いを受け続けても耐えなければならない。犠牲者が出続けるのも仕方のないことだ。・・・これは現在日本の価値観だとされますが、どうした経緯をたどってこのような社会が構築され維持されてきたのか。それが不思議で不気味でなりません。