抑えがたき怒り | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 私の抱え続けている怒りの感情をどう処理すればよいのか。どうしてもわからない。

目指すべきは地球の滅亡、人類の淘汰、想像するのはそういった類のことばかりである。

当然ながら、一日中その空想を続けなければならない。

 

 声を発してはならない。発しても独り言である。常に自分自身との対話である。それ以外にはない。

 そもそも私の発する声とはどのようなものになっているのであろうか。日本語として発音しているのだろうか。意味を成すセンテンスを発する必要がないのだからわかりようがない。

 音は聞こえているから耳は機能しているのであろう。自分の声も頭骨からの伝達だけではなく、壁から反射して聞こえてもいるようなので、声を発してはいるのだろう。ただそれを他人が理解できるレベルのものかどうかはわからない。

 

 

さだむべし ごみくずしょりと ひとりごと ねむらんとして おきるはよみし

 

 

ゴミ処理規定の手続きも終わり、必要がなくなった。