NINBY(ニンビー)という言葉はどれほど知られているのでしょうか。
私はあまりこの言葉自体は詳しくなかったのです。ですがこの言葉の表す現象にはよく直面しています。
Not In My BackYard のイニシャルを取った言葉です。
「私のところの裏庭はダメだ」という意味ですね。
では、何についてダメだと言っているのでしょうか。
裏庭は「近く」の喩えです。つまり「私の近くに来るな」という意味です。
精神障害者は保安対象になるので近づいてもらっては困るという意味です。
NINBYという言葉は、こうした社会的マイノリティーに対する排除の姿勢を表す言葉なのです。
ところで上記のように「精神障害者は社会的マイノリティーである」という表現もしていますが、本当にそうなのでしょうか。
精神障害者の定義は議論があるとして、精神疾患患者は全国で300万人以上と言われています。この人数ではマイノリティー(minority)=少数派という表現に違和感を持ってしまいます。
そこで社会的マイノリティーという言葉を使ってみました。
「精神障害者はもう少数ではないけれども、未だ社会の中では少数派と同様の権利しか有していない」
「民主主義において数は力になりうるものであるが、さらなる多数派において権利が制限されている」
と捉えています。
ではなぜそこまでして権利を与えないのでしょうか。
ひとつとして考えられるのは費用対効果(コストパフォーマンス)ではないでしょうか。
精神障害者は生産性能力が低いと見做されています。加えて医療の力では回復しないケースが非常に多く、治療費やリハビリテーションに予算をつけても還ってくるものが少ないと考えられています。
「期待できない」 「無駄」という立ち位置です。
もうひとつ私が考えるのが、精神医療が大きな産業になっていることです。
医療費全体の中で精神医療が大きな割合を占めていることは、その精神医療からの利益が下がると医療界全体の減収につながります。
つまり患者数を減らす、投薬を減らすということになれば経済損失はかなり大きいものになるでしょう。
2000年代になってSSRIといううつ病の新薬を流通させるために政府をあげてうつ病キャンペーンを行ったのには大きな意味があります。
さらに近年はこうした精神医療への疑問が高まる兆しがあるので、メンタルヘルスチェックの義務化を行いました。これにより精神科を受診する患者は増加するのではないかと予想しています。
こうした流れでかなりの人々が精神障害者として排除の対象となるのを危惧しています。
特に30代を越えてきた精神障害者は支援の対象から漏れてきています。
若者支援、少子化対策を進める重要性が目立つ裏では、切り捨てられる世代が生まれてきます。
こうして精神障害者の不満が高まれば、さらに危険な対象と位置づけられます。このパターンサイクルです。
NINBYという言葉が今もなお使われ続けるのには、負の連鎖が終わらないからです。