「なぜ障害者差別が生まれ今日まで続いているのか」
とても壮大なテーマになります。ただの個人の発信に過ぎないブログではそのすべてを語ることは不可能なのですが、考えるきっかけになってほしいという思いと、これから更なる研究と実践を期待して、少し文章にしてみます。
公益社団法人 日本精神保健福祉士協会が2014年に
「日本精神保健福祉士協会50年史」
(50 Year's History of Japanese Association of Psychiatric Social Workers)
という冊子を発行しています。
この冊子の内容を簡単に述べますと、第2次世界大戦終戦後の1945年以降における精神保健分野での歴史をまとめたものになります。
精神保健福祉士の職能団体が編集したものですが、主義主張中心ではなく、この50年の歴史の中で起きた事案を記録して、そうした事案がどのように社会に影響を及ぼし、その影響に対して精神科ソーシャルワーカーの立場がどのように変遷していったのか。そしてどのようにさらなる新制度の構築に至ったのかを客観的に説明しています。
PSW(精神科ソーシャルワーカー)の歴史書(記録書)として性格が強いものであると私自身は捉えています。
PSWの歴史におけるキーワードをひとつ挙げるとすれば「権利擁護」になるかと思います。
かと言って、権利擁護が機能してきたということを書いているわけではなく、権利擁護を目指しているのであるが、実際には社会の流れは逆流しており、精神障害者の人権侵害を止めることが出来ない現実が表現されています。
精神障害者の権利擁護のための提言は抽象的であり具体性に欠けます。
その要因としてPSWが政治的権力を持っていない点は否めないでしょう。精神保健分野にも多くの関係団体があります。それぞれ利害関係がありますのでひとつの主義主張がそのまま通ることはありません。
例外的に国家権力による強制は行われます。もちろん法整備の段階でPSW関係団体の代表者が法整備の検討会等に加わることになりますが、あくまで一参加者です。
検討会等には各分野の当事者も参加することが増えてきました。当事者の役割としては、
「先入観を批判する」ことだと私は考えています。
PSWでは医師の主張を覆すことはできません。
日本精神保健福祉士協会の構成員数は、2016年11月時点で国家資格保持者の14%です。職能団体としては異常な低割合です。
それだけこの職能団体には期待ができないということの表れではないでしょうか。
「期待ができないということは自分自身への還元が期待できない」という意味です。
ここからは絶望感しか感じられません。
さて表題に戻って、精神障害者差別が減らない理由として、そもそも精神保健分野の最前線にいるべき人々が絶望していることが影響していることが大きいと思われます。
とても根気と知識と実践力が必要とされる立場なんですが、その代償は期待できるものではありません。
このようになる要因は社会が人間の生産能力を基準として査定していることにあります。
マルクスの資本論には、商品の使用価値は労働力によって与えられる、という説明があります。ものすごく大雑把にいうと、その前提から労働力がどのように扱われるのかを追求したのが資本論の骨格になってくるのですが、労働力が低下した場合はどうなるのでしょうか。
商品の価値を生み出せない人間は資本主義おける立場はなくなってしまいます。
社会主義を目指した国が全体主義に陥って破滅したことを契機に、資本主義が世界の中心です。その中において精神障害者は価値を生み出すことが出来ないという立場に置かれることになっています。
そして精神科リハビリテーションは精神障害者の生産性を向上させることが主な目的になっています。
「健常者の価値観に近づけさせる」それがリハビリの目的になっています。
しかし、リハビリテーションにはそれなりの時間を要しますし、必ず成功するというものでもありません。
成功しなければ社会の価値観から脱落した者とされ、差別の対象になります。
さらには社会の脱落は自己責任によるものとされています。リハビリテーションに時間がかかることや失敗することは当事者の努力不足であるという見解が支持されています。
このような批判的見解は当事者に向けられます。それに対して医療福祉関係者が抗うことは効果がありません。
社会が人間に生産性を追い求めることは、人間のある部分の能力のみを評価することになります。
社会が期待する生産性がない者はお荷物でしかありません。税金の浪費者という捉え方です。そしてそれらを支援する者への対価も無駄遣いとなります。
まとまりのない文章になってしまいましたが、こ差別意識が生まれてくる一端として、こうした社会的からくりがあるのではないかと私は考えています。