社会福祉学には経済学からアプローチ | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

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空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

まとまりのない内容のブログを書いている私ですが、もともとの専門は福祉なのです。
と言っても何の実績もないのですが...
 
 今でも社会福祉とは何なのかを考えてはいます。
 それでずっと心の片隅に残り続けているのは、
「社会福祉学を理解するには経済学の知識が必要である」ということです。
 
 私は教育系の分野出身で経済学を体系的に学んだことはありません。高校でも政治・経済という科目はありましたが、進学校であったため必修科目である政治・経済も受験科目になければ必要ないとのことで地理の成績と同じ点数を政治・経済にも付けて、建て前上履修したことになっていますが教科書を買わされただけでまったく授業はありませんでした。
 
 もともと福祉は医療の分野から派生したものという意識が強くて、医学の基礎的な知識がまず必要とされてきました。とはいえ福祉従事者が医療従事者に対して意見することはできることはまず無く、間違ったことだと分かりながら医療従事者の指示に従っています。
 
 では社会福祉には何ができるのか?という疑問が湧いてきます。福祉の知識や経験を得るたびに、福祉の理論を理解して、さらに伝えるためには経済学の基礎知識が不可欠だと考えるようになったのです。
 福祉の理論を学んで理解したように感じていても、経済学の知識がある程度あるだけで同じ福祉理論が異なる感覚で入ってくるような経験をするようになりました。
 わかりやすいものでいうと、貧困問題です。貧困問題の理解に経済学の知識が必要になるのは当然のことのように思いますが、福祉教育の中に経済学はほとんど触れられません。一応、国家試験の受験科目の範囲には入っているのですが、有名な人名とか著書名を覚えるくらいで内容の理解まではできていませんでした。
 貧困問題に福祉従事者としてどのように対応するのか、ということになるのですが、ただ刷り込みで「貧困問題を解決しないといけない」という意識はあっても、その歴史や背景をしらないから
「なぜ貧困が問題なのか」とか
「なぜ貧困が解決しないのか」をよく把握していません。
 
 漫然と対応しているだけです。それでいて解決できるケースが少ないので
「貧困問題が存在するのは当然である」
「貧困は個人や世帯の問題であるので他人がかかわっていくことは困難である」
という考え方をするようになってきています。
 
 慣れ、馴れ合いというものはこうして生じるものだということも、福祉理論だけでは到達しません。気づかない専門家が多いのではないでしょうか。
 
 
 あきらめて またあきらめる 福祉家も 求められれば 断らず悩む
 
 
字余りですね・・・
 
 
 そういうわけで、ひとつの理論についても、その受け取り側の姿勢で玉虫色に変化するものだということです。受け取り側の知識の偏りによって本質が変化させられます。それが学問の恐ろしいところでもあります。
 耳の痛いことも取り入れないといけませんね。自分好みの情報だけ集めてもいけません。