いつまで持つのか判らぬが・・・ | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

なかなか自分がここに何を書きたいのか定まりません。

 

 そもそも私の生命がいつまで存在するのかわからない状況です。そんな中でこうして何かを書き続けることでその日その日をやり過ごしています。

 つまりその場しのぎのブログです。

 

 「使えなくなった道具はゴミである」とはずいぶん前にある本で読んだ記憶があります。

 道具として使い続けられ、ついに壊れてしまいました。こうして私もゴミとして捨てられてしまい、その言葉の重みを感じています。

 

 医療というものに限界しか感じなくなってしまいました。医療もビジネスでしか存在できないのは知っていましたが、当事者としては苦しい現実です。治す側、治される側、どちらでもありますが、「救えるとは思っていない」という治療者の言葉は真実ではあります。

 真実を語ることを責めることはできませんでした。