情報を信頼する? | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

なんとなく、いろんな文章や写真、映像を見て思うことを少し書いてみます。

 

 好奇心を満たすために様々なものを見聞きするわけですが、それらをすべて信頼しているわけではないのでしょう。取捨選択をけっこう無意識に一瞬でやっているように感じます。

 その基準を自分で振り返ってみても、かないいい加減な判断をしているのもだと痛感します。

 

 つい自分の好みのものばかりを集めてしまう。それは良いことだと思っていますが、客観的には偏った分野のものが集まっているように見えると思います。自分の考え方に沿った文章を眺めては悦に入ります。自分の嫌悪する思想に対してはその内容やエビデンスを無視して排除しています。

 

 こうしたことは、知識としてはマイナスになりそうだと不安を持っています。

 好奇心を満たすのか、知識を得るのかで違ってくるのでしょうが、その区別が曖昧で正しい情報を見誤ってしまいそうです。

 

 日々、人間と接するわけでもない私としては、主観的判断ばかりに陥っています。大衆迎合的な考え方が正しいわけではないでしょうが、正誤はともかく異端者にはなっています。

 あえてそういう態度を取るのもひとつの個性かもしれませんが、先行き険しいいばらの道です。

 

 あまり考えがまとまらなかったので、もう少し練らないといけません。