私は、何度か、友人に誘われて、
いろいろなミュージシャンの
コンサートに行ったことがあります。
それは、日本人だったり、
外国人だったりしました。
彼らは、広い舞台の上を
歩き回ったり、あるいは、走り回ったりして、
歌を歌うだけという印象でした。
歌もほとんどきちんと聞こえませんでしたし、
ひどいミュージシャンだったら、
声も途中からとぎれとぎれです。
それよりも、ファンの熱狂する様子の方に
興味がわき、
そちらの方ばかりに、
目が奪われました。
彼らが言う【一体化】ですが、
私は、【一体化】を体感することができず、
家で、CDを聞いている方がマシだと言うのが
率直な感想でした。
マイケル・ジャクソンのコンサートは行ったことがありませんが、
(まず、チケットが取れないでしょう。)
映像で見る限り、
他のミュージシャンと一線を画しています。
これは、マイケル・ジャクソンが
ダンサーとしても、
超一級というのが大きな原因でしょう。
多くのダンサーを従えて、
真ん中で踊るマイケルの動きは、
誰よりも、切れがいいのです。
これは、コンサートいうよりも、
ショーです。
<魅せる>ためのものです。
ここで、誤解しないでほしいのです。
舞台を歩き回ったり、走り回ったりするのが、
普通で、
マイケルが特別という意味です。
私は、ケビン・コスナーが好きですが、
友人に「なんで?」と聞かれたときに、
「イギリス紳士見たいなところ。」
と答えたことがあります。
<アンタチャブル>は、
何度観ても、素晴らしいです。
最近、ケビン・コスナーが
<クラーク・ゲイブルの再来>と
言われているのを知りました。
これは、こう言うことです。
クラーク・ゲイブルの後は、
ケビン・コスナーがいる、と。
けれど、
<マイケル・ジャクソン>の前に、
<マイケル・ジャクソン>はいず、
<マイケル・ジャクソン>の後に、
<マイケル・ジャクソン>はいず、
ただ、<マイケル・ジャクソン>がいるのみなのです。
唯一無二の存在と言うことです。
最初に申し上げたように、
後半、マイケルの鼻は、
軟骨がほとんどない状態でした。
鼻で呼吸することが一切できずに、
かなり苦しいと訴えていたと言います。
そして、色のまだらな皮膚、
それを隠すための厚化粧、
汗でも取れないように、
特別なファンデーションを体中に
塗っていたのでしょう。
また、頭皮の皮膚移植による苦しみです。
そんな中で、
よくもあんなハードなコンサートを
こなしていたと思います。
常人のできることではありません。
前のめり30度に立ち、
何秒も静止するなんて、
一体、どれだけのミュージシャンができるでしょうか。
誰もいないでしょう。
「天才」とか「プロ意識」、「完璧主義者」
という言葉だけで、
片付けられません。
だからこそ、
<マイケル・ジャクソン>なのです。
彼以外の何者でも、ありません。