昨日長々と書いてしまったので、先週投稿した動画の紹介は今日に回した。
今後は基本、なんかの記事と動画リストをアップしていこうと思う。
正確には先々週の金曜日〜今週木曜日までにアップあるいは生配信した動画である。
ちなみに、今週末から配信するゲームを増やしたので、来週以降はさらに結構な数となることだろう。
昨日長々と書いてしまったので、先週投稿した動画の紹介は今日に回した。
今後は基本、なんかの記事と動画リストをアップしていこうと思う。
正確には先々週の金曜日〜今週木曜日までにアップあるいは生配信した動画である。
ちなみに、今週末から配信するゲームを増やしたので、来週以降はさらに結構な数となることだろう。
先月半ばにマイクラ動画を投稿するだけの記事を書いて(?)以来になる。
できればコンスタントに更新すべきだという信念のもと、最低でも月1、できれば週1で更新していきたいと思っている。
思ってはいるが、できるかどうかはわからない(^^;
さて、日々のことをあれそれ書くのも良いのだが、生憎こちとらつまらないオタク中年なのでそうそう面白いことが書けるわけでもなし。
なもんで、面白い出来事などがあればともかくそうでもない場合は日々思ったことを適当に書き連ねてみる。
それが見た人(つまりあなただ)にとって面白かったり有益であったりすれば幸いだ。
ついでに、その週にYouTubeに公開した動画をライブ配信も含め勝手に紹介していこうと思う。
それは記事の終わりらへんになるので、見たくない人は記事だけ読んでいただければ良い。
記事も読みたくないという人。何しに来たのこんたとこに(^^;
一部の人はご存知かもしれないが、わしは一応楽器の演奏などやっている。
昨今のご時世なので演奏機会は少ないが、それでも一応はいつでも演奏ができるように準備はしているつもりだ。
さて、そんなわけだから、音楽にそう関心の無い人よりは音楽に接する機会は多いし、普段何気なく聞き流すような音楽、例えばごく短いCMの中で流れるようなものにもそれなりに気をそそられることもあったりする。
そんな中で常々思っているのはそう立派なことでも何でもない。ただ漠然と「最近の音楽のほとんどはただの消費財」という思いだ。
そして、実はそれ自体はさほど悪いことではないとも思っている。
「消費財」という言葉には少々語弊があるかもしれないが、実際のところ今巷で良く耳にする楽曲のうち、一体どれほどのものが例えば30年後くらいに今の二十代の人たちが「懐メロ」として記憶に留めておくような楽曲があるだろうか。
そして、仮にそうした楽曲の中にどれほど経済的な価値のある楽曲があるのだろうか。
音楽に限らず、多くの芸能、これは演奏や演芸といったアート関連に限らずスポーツについても言えることだが、広くエンターテイメントと呼ばれるものは商業との関わりを持たないことはできない時代だ。
いわばそれは一大産業と言っても良いだろう。「メディアミックス」という、多分和製英語なのだろうが、そうしたかっこいいカタカナ名称で、多い例としては元々は漫画だったものがアニメ、実写ドラマ、ゲーム、演劇など様々な形のものに展開している。
まずは漫画として商売になりそうだから世に出てくる。他のメディア、昔から漫画と親和性の高いアニメでも儲かりそうだからそうなる。
今のご時世、なかなかのトンデモ設定でも実写映像で受け入れられる側面もあるから実写ドラマや映画、演劇にもなりえる。
ゲーム性が原作の世界観を損なわないならゲームにもなり得る。
そしてそれぞれの場所で関わる人たちが変わっていく。変わっていくから人数も増える。
人数が増えるなら当然人件費もかかる。人件費を賄うためには儲けが必要になる。
ごく当たり前のことだ。そして利益が出れば、よりよいサービスのために投資する。
でなければ企画は打ち切り、または緩やかに終了していく。
そうした中で、提供側はできるだけ裾野の広い売り方を模索することになる。それが普遍的なものになり、良く言えば大衆に受け入れやすい、悪く言えば… これはある意味悪口なのでいくらでも言葉が浮かんでくるが(笑)穏当な言葉を選べば見れる(あるいは聞ける)けど退屈なものが出来上がる。
そこで提供側は(同じ提供元とは限らないが)後者として受け止めた人にターゲットを絞った商品(または製品)の展開も模索していく…
サービスを提供できる媒体も増えてきた。わしが若者だった頃はインターネットが普及し始めた頃であり、携帯電話で音楽や映像を閲覧できるようになるなど思いもしなかった。
今はスマートフォンが1台あれば、映像や音楽をいつでもどこでも楽しめる。だから歩きながら、ひどいものは車を運転しながらそれらをイジっている。そりゃ社会問題にならない方がおかしい。
どんどん自分が元々言いたかったことから逸れてしまったが、要は自分が感じる現状である。
今わしが感じているのは、音楽作品にしてもそれ以外のものにしても、自分が「消費財」と感じてしまうものに溢れかえっているということである。
あくまでも主観的な話ではあるが、もっと言えば「品質は高いが欲しいのはこれじゃない」と思うような作品が多くあり、しかもそれらが何らかの理由で「無視するにはもったいない」と思うようなものばかりだということである。
しかし、残念ワープア中年のわしとしては、そうしたものを楽しむ時間は非常に限られている。
いわんや僻地在住の人間だ。職場までの通勤時間を考えれば、自分が面白いと思うものを楽しむ時間を削ってでも、自分が生み出したいものに費やす時間を増やすのは致し方ないことであろう。
若い頃なら、それこそ寝る間を惜しんでそれに勤しむこともできたであろうが、歳を重ね気力体力が低下するのはやむないことである。
そして、それに反比例するように社会的責任はワープアでも小さくはなく、むしろ増大していくのだ。
そうした中でこう思わずにはいられない。「わしが生み出したいモノって、何よ?」
先にも述べたように、自分の周りには度ストライクと呼べるわけではないにしても、それなりに興味深い、そしておそらく自分が作り出すよりもクオリティの高い作品が溢れている。
そんな中で明確に「自分が作り出したい作品はこれだ!」と呼べるものがしっかりとあるわけではないのだ。
このあたりが自分の至らなさなのであろう。だが、喜ぶべきか呪わしく思うべきか、わしという人間は常に「何かを作りたい」と思う生き物なのだ。
もし造形作家なり画家なりを目指していたのであれば、時間を見つけてはとにかく何かを造って(あるいは描いて)いたことだろう。
では、わしは何になりたいのか。若い頃にはミュージシャンになりたいと思っていた。
30前後の頃は物書きになりたいしなれるかもしれないと思っていた。
だが、今にして思えばどちらもさほど本気ではなかったのではないかと思う。いや、当時は本気でやっているつもりではあったが。
ただ心のどこかで「自分には無理だ」とか「なれなかったらどうする?」という疑念があり続けた。そして、そこを踏み越える勇気も能力もわしにはなかったのだろうと思う。
今更職業ミュージシャンにはなれないだろうし、職業作家となるのも何か違う気もする。
去年あたりから動画投稿なんかもやっているが、結果はあまり芳しいものでもない。
それでも。
それでもわしは演奏をやめることはないだろう。何某かの物語を書き続けるだろう。
動画投稿も続けることだろう。やめようと思う複合的な理由と決定的な出来事でもない限り。
なぜかと問われると、ここでようやく最初の問に対する答えが出てくる。
「わしが欲しいものが、まだ世間にはない」からだ。
わしが欲しいもの。それが明確に何なのかは正直なところわからない。
わからないがそのコンセプトらしいものはある。また、物語に関しては死ぬまでに書いてしまいたいと思うものがいくつかある。
音楽に関しては、わしの思いや願い、祈りが乗ったものを作り出したいと思っている。
動画に関しては、わしが楽しんでやっている、あるいはやりたいと思うものを全て吐き出してしまいたいと思っている。
それが世間で評価されればお慰みだし、そうならなくてもごく内輪でそれなりに評判になれば当然ながら嬉しい。
誰に顧みられることがなくとも、残念には思うがそれはそれである。
要は、自分の進みたい道、到達したい目標、それも人生が終わるまでに成し遂げたいと思えるものがおぼろげながら見えているのだ。これは幸せなことだと言えるだろう。
論語に「朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば夕(ゆう)べに死(し)すとも可(か)なり」という言葉がある。
様々な解釈があるが、わしは「明日行くべき道を知っているならば、その日の夕方に亡くなるのも悪いことではなし」と解釈している。
もちろんこれは一日、またはその日と翌日のことを指しているのではない。
自分の生きている間に、自分のやりたいこと、実現したい目標を定めることができ、そのための道筋が分かったのであれば、たとえ目標に到達せずともその人生は良きものであった。ということだろうと思う。
そういう意味では、わしの人生にはいくつか到達したい目標がある。実はそうした目標がある人はそう多くはいないのではないかと思う。
しかし、残念ながらその目標に達するための道筋は未だ模糊とした霧の向こうにあるようで見いだせてはいない。
わしはまだまだ「夕べに死す」までには達しておらず、その道もまた半ばだということだ。
言葉ではそういうことだが、できれば生きている間に道を達してしまいたいものだ。
さあ。アホほど長々と書いてしまったので動画の紹介は明日にでも。
先週土曜日以降に公開したものを紹介する予定だ。今のところ全てゲーム配信だが。
職業配信者のような数ではないものの、全体では10本に届くか届かないかくらいあるので、暇を見つけてぼんやり眺めていただければ幸いだ。
みみっちいことを言えば、見なくても「いいね」だけでも押していただければありがたい(^^;
今朝ほど、妙に印象に残る夢を見た。
どこか詩的で、どこか文学的に感じられる夢だった。
なぜだかは分からないが、それを書き留めておく必要を感じた。
それは以下のような夢だった。
暖炉がある。しかし、部屋は暗かった。
暖炉の火以外明かりはなく、その火もまるで明滅するかのような薄いものだ。
消え入りそうなその火は温かみを感じることはなく、むしろ冷たく儚げだった。
さながらそれは、暖炉の残り火と言うよりは、申し訳程度に灯っている行灯の火のようだ。
わしはソファーに座っている。
背の低いテーブルの三方を囲うようにして置かれたソファの中央のものに偉そうに座っていた。
正面には件の暖炉があり、テーブルの上には何もない。
右手のソファには人はおらず、左手のソファには女が一人座っていた。
濡れたような長い黒髪が印象的で、どこかで会ったことのあるような気がする見知らぬ女だった。
喉の乾きを覚えた。
そう言うと、女はどこからともなく飲み物を出してきた。
ハイボール用と思われる大きめのグラスに注がれた無色無臭のその飲み物に、ある種の『毒』が盛られていることを、わしはなぜか知っていた。
「どうぞ」
女はわしにその飲み物を勧めた。儚げで悲しげで、どこか苦しげな笑顔だった。
わしは何故かは分からないが、この女に殺されてやらねばならないと思った。
そしてまた、何故かは分からないがその『毒』が遅効性で、決して苦しむことなく眠るように逝くことができることも知っていた。
わしはその飲み物を呷った。熱さも冷たさも匂いも味も感じなかった。
わしと女は、同じ床へ入った。
燃え上がる情念を交わしたあと、女は静かに泣いていた。
「泣くことはない。わしはこのまま眠るだけだ。君が悲しむようなことはない」
わしがそう言うと、女は大きな潤みある目でわしを見つめた。
涙に濡れたその黒い瞳は、悲しみとも恨みともつかぬ色をしていた。
女は黙ってうなずいた。
それを見たわしは、釣り込まれるかのように眠りについた。
明け方、既に動くことなく横たわるわしを、わし自身が見下ろしていた。
すでにわしは身罷ったのだ。
女はそんなわしの横で座っていた。ピクリとも動かなかった。
女は泣いてはいなかった。ただ、わしの横に座って動かぬわしをじっと見つめていた。
女がどのような表情をしていたかは、見下ろすわしにはわからない。
ただ黙し、ただ座して女はわしの傍らに佇んでいる。