深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと -63ページ目

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記



















高校3年のときの担任の清水先生が亡くなったのです。


高校2年のときには罰ゲーム?ってくらい友達と引き離され、、、まあ、そこで新しくできた友達も多しだったんだけど、高3は仲良しがいっぱいいて楽しいクラスだったのだ。

思い出せと言われたらもちろん思い出せないんだけどね。


んで、高校3年といえば、私がプロレスのオーディション受けちゃって、合格しちゃったもんだから新聞に載って学校にバレて大騒ぎ。


大学の内部優先を取っていたのに「某私立女子大を蹴ってプロレス入りの変わり種」とスポーツ新聞に書かれてしまったのが原因で、学校は大学にも迷惑かけたってことでたくさん怒られた。。。


そのまま進むと各方面に迷惑がかかるってことで、校長先生とか学年主任の先生はあの手この手で両親含めて諦めさせようと何回も学校に呼ばれた気がする。覚えてないけど。あ。部活の顧問からも電話かかってきた。たぶん学校としては不祥事だったんだと思う。


そんな中、清水先生は私にも

「何がいいのか知らんけど、やりたいことがあるなら周りのことは大人がどうにかするからやりなさい」

と言ってくれたんだぁ。


あんまり話したこともなかったんだけど、先生と仲良くしてた友達からは、シミ(清水先生)の立場はけっこうヤバくて、来年は担任を持てなくなると聞かされたりもしたんだよね。


そのことを「先生大丈夫?」って聞いたら「別に担任持たなくてもいいし、そんなことは気にするな」とも言ってくれたんだ。


清水先生が亡くなって、ママちゃんとこの話ししたら、うちの親にも「大学には謝ってきたし、退学にもならないから、本人のやりたいようにさせてあげてください」と言ってくれてたんだって。

知らなかったけど。


退学になりそうだったことも、知らなかったんだけど。。。


無事に卒業できたのも清水先生のおかげだったみたい。


結局、プロレスに入らなかったのはママさまの

「うちの親戚見てごらん。何か極めた人いないでしょ。適当にやってれば大丈夫だけど、何か一つを成し遂げるには周りが見えないくらい打ち込むことが必要だけど、お前みたいに落ちたら大学行こう。なんて子はプロじゃ通用しないわよ」

みたいなこと言われて、おお、そーかもしんない。なんて思ったからなんだよね。


中途半端なことした自分がいけないんだと思ったし。


仲の良い子たちは親の承諾書を勝手に書いてくれたり、オーディション用の写真撮ってくれたり、協力してくれてたので、大人に言われて諦めたことは恥ずかしかったように思う。


それからしばらくは、何年かは、後悔しかなかったし、今でも人生なんて長いんだから自分で努力して掴んだチャンスをなぜ手放してしまったのかと思う。


その後もそれなりに楽しい人生だし、あれ以来、やりたい事も、なりたいものもないんだけど、後悔というのはそのことひとつだけだと、今もたぶんこれからもそう思う。


何年か前に、清水先生のお宅に行く機会があって、一応まあまあちゃんとした大人になったからお詫びしたんだけど、やっぱりその時のことは覚えていてくれたんだよねぇ。


普通はそれだけお世話になったんだから、欠かさず年賀状出すとかするじゃん?


それが、たまたま誘われるまで一度も卒業してから連絡したこともなかったんだ。


そーゆー不義理な人間なんですわ。


最後のメッセージも集めて葬儀のときに添えてくれると聞いたけど、もっと先生とずっと仲良くしてた子たちもいたから、私は感謝とお詫びを心でしただけ。


色んなことを忘れちゃうけど、あの時のことは私はずっと忘れないから、私はそれでいいと思ってる。


大人で「やっていいよ。やりなさい」と言ってくれたのはただ一人だったから。


結局、私はやらなかったけど、それでも翌年清水先生は担任を持たなかったから、そのことと引き換えに戦ってくれたことはわかってる。


先生、ごめんなさい。先生、ありがとうございました。


んで、写真はそんなことがあったなんて全く感じない楽しい高校3年生の私たち(笑)


バカだったけど、今も変わらずバカだよ(笑)


今でも連絡取り合ってたまに会う友達のグループの名前は「バカ会」だもの。変わっておりまっせん!


そーいえば、小学生のときは「いじめ」ってあったけど、中高のときは「いじめ」は無縁だったなぁ。



















たらりこちゃんが揚げ物ができるようになったというので訪問(笑)


だいぶ疑惑で、作ってたのはセンセーだと思う。。。。


まあ、みなさんなんとかお元気そうで何より。


色々あるのが人生っちゅーことで、笑い飛ばせるくらいまで回復したら私を呼んで頂ければ笑顔ちはできますよっと。


時には家族には部外者が必要でしょ?


うちの家族にはたらりこが必要だし、逆もまたそう。


だからって、ずっと何かするわけじゃないんだけどね。


この距離感もちょうどいい。


ちょっと疲れていたので、大歓迎してくれる場所にいけて癒された。


疲れることが多いけど、それは周りが変わったんじゃなく、ただ自分たちが歳をとり、体力が落ちただけかもね。


色んなことが起きるのは昔からな気がするもの(笑)


不幸な人に比べれば、文句ないほど幸せに日々を過ごせてるから、たまに愚痴りながら、たくさん食べて、人に優しい自分たちを褒めあって、食べられるときにたくさん食べて、寝られるときにたくさん寝よう。



一昨日からおばあちゃんの写真探したりしてたら、今日は高校3年のときの担任の先生の訃報が。。。


たしか7年くらい前に、一度みんなで先生の家にいったなぁ。暑い暑い夏の日に、汗だくでアルバムなんかを見ながらプチ同窓会。


そんな写真があったんじゃないかと遡っていたら。


写し出される日々のあまりの充実というか、量にやられてしまって、珍しくどーん。と落ち込む。


結局、写真は私の失われた2年間に含まれてしまっていたらしく見つからなかったけど、覚えていることだけでいい気もする。


会いたい人には会えるときに会っておく。


あれがそのタイミングだったんだと思う。


おばあちゃんにもコロナ期間で自粛してたときは少し会ってないけど、世間の皆さんよりは、うちの親族は無頓着だから気軽に会えていたから良かった。


断片的な写真に残らない日々が、積み重なって1日も1週間も、1年も、10年も過ぎていく。


思い出は、楽しいときに遡ったほうがいい。


おばあちゃんやシミ(担任の先生)だけじゃなく、もう会えない人や、遡れない時を心を通さぬ画像で見るのは、一人じゃないときがいい。


いずれ私もこの世から消えるけど、笑顔の、ばかばかしい画像ばかりが、友達や家族に残りますように。


日々、つとめて笑顔でバカバカしくいようと、そんなことを思う。


ご冥福をお祈りします。

プライベートショットと、101歳リモートお誕生日会と、100歳の盛大なお誕生日会。







神田のおばあちゃんが先程天に昇りました。


今日もひ孫の成人式の前撮り用の振袖を見て一緒に写真もとって、うちのママちゃんやおばちゃんたちも行っていて、賑やかだったみたい。


昨夜、いよいよかも。という知らせを受けて明日東京に戻ろうかとママちゃんと相談したけど、元気なときにみんな会えてるから、まずは今日ママちゃんが会いにいってくるねって。


今日夕方には痛さはあるけど元気な話すおばあちゃんの動画も送ってくれていたけど。


最期まで、たくさんの子供や孫やひ孫に囲まれて自宅で過ごせて、幸せな昇天だったと思います。


ちっちゃい頃から、大人になっても、いつ会っても面白くて頭もずっとハッキリしていて、昨日も揚げ煎餅を食べてるって聞いてたし。


一緒に暮らしていないから、きっとこれからも、ずっと神田に行ったら会える気持ちのままで、天から見守っていただこう。


103歳のお誕生日まではあと1ヶ月ちょっとだったけど、働き者で爆発的におもしろくて、ホラ吹きで、やさしくて、身体は小さいけどとても大きなおばあちゃん。


天国でも絶対に人気者だから、先に待っている最愛のおじいちゃんとやっと会えて、きっととても嬉しいでしょう。


コロナ禍でも、こうして大好きな家族に囲まれて昇天できたのは、本当に幸せなことだと思います。


おばあちゃん。


たくさん、たくさん、ありがとうございました!















今日はママ様の79歳のお誕生日。

来年はとうとう80代に突入かぁ。。。


今回はウチに眠っていたタコ焼き器で、初のタコ焼きパーティー。


お好み焼き、焼きそば、ケーキ、スイカなどもしもタコ焼きで足りなかったときのサブメニューも万全。


もちろん、全部食べ尽くしたのだ。


相変わらず、我々と同じだけ食べ、準備も片付けもママ様の役。

楽になんかなりませんのよ!


お誕生日、おめでとう!!






































だいぶ年季の入ったチロルチョコの冬美ちゃんのおニューが入ったので付け替え。


ずっとここに付いてるけど、しみじみ見ることがないから、その他の子たちもだいぶくたびれてるね。


また君の頃なんだから12年以上前からかな?


チロルチョコはもっと前かも。


ナメコだってiPhone買ったあたりなんだから何年前なんだろうか?


大切なものはここに付けておこうかな。









パンダバウムで型抜きしつつ、いろいろ話して楽しき♪




ちょっと前に大洪水を起こした洗濯機。

その後も騙し騙し使っていたけど、GW中に完全に壊れて乾燥までした衣類が朝にはしっとり濡れたり、びっしょり濡れたり。

修理を呼んだけど休み明け対応になるとのこと。

思い立ってダイエットを始めたから汗だくの衣類が出ちゃうから置いておけない。。。

よく考えたら乾燥は使えなくてもギリ脱水までは出来るから何年かぶりになんつーんだっけ?洗濯バサミいっぱいついてるやつを浴室乾燥機に入れれば洗濯できることに気付いてお洗濯。

干したり、とりこんだりする作業が懐かしい感じ。

洗濯物の干し方が雑すぎで怒られたなぁ。。。という時代を思い出したりして。

常に天井に干す道具が吊るしっぱなしの部屋で、何年か過ごした日々。。。

今はだいぶ良いマンションに暮らしているけど、あの狭い部屋も、おかしな間取りも特に気にならずに暮らせていたんだからなぁ。

テレビも壊れて、音楽を聴くこともなく、携帯は圏外(笑)

学生時代の友達からは音信不通と言われ、とても狭い人間関係の中で過ごしていた気もする。

自分の服は細い収納ケース1本だけで、毎日何を着て暮らしていたのかも思い出せない。

それなりに、日々楽しかったし刺激的だったと思うけど、帰ったら人のいる暮らしをもうできるとも思えないなぁ。

働きすぎて、疲れすぎて、さぼり過ぎて、食べ過ぎて、寝過ぎて、自由すぎる今の暮らしは、いつまで続くのだろうか?

不満はないけど、未練もないかも。

贅沢で、ありがたいことだ。