なんとも。 | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

一昨日からおばあちゃんの写真探したりしてたら、今日は高校3年のときの担任の先生の訃報が。。。


たしか7年くらい前に、一度みんなで先生の家にいったなぁ。暑い暑い夏の日に、汗だくでアルバムなんかを見ながらプチ同窓会。


そんな写真があったんじゃないかと遡っていたら。


写し出される日々のあまりの充実というか、量にやられてしまって、珍しくどーん。と落ち込む。


結局、写真は私の失われた2年間に含まれてしまっていたらしく見つからなかったけど、覚えていることだけでいい気もする。


会いたい人には会えるときに会っておく。


あれがそのタイミングだったんだと思う。


おばあちゃんにもコロナ期間で自粛してたときは少し会ってないけど、世間の皆さんよりは、うちの親族は無頓着だから気軽に会えていたから良かった。


断片的な写真に残らない日々が、積み重なって1日も1週間も、1年も、10年も過ぎていく。


思い出は、楽しいときに遡ったほうがいい。


おばあちゃんやシミ(担任の先生)だけじゃなく、もう会えない人や、遡れない時を心を通さぬ画像で見るのは、一人じゃないときがいい。


いずれ私もこの世から消えるけど、笑顔の、ばかばかしい画像ばかりが、友達や家族に残りますように。


日々、つとめて笑顔でバカバカしくいようと、そんなことを思う。


ご冥福をお祈りします。