ちょっと前に | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記



















高校3年のときの担任の清水先生が亡くなったのです。


高校2年のときには罰ゲーム?ってくらい友達と引き離され、、、まあ、そこで新しくできた友達も多しだったんだけど、高3は仲良しがいっぱいいて楽しいクラスだったのだ。

思い出せと言われたらもちろん思い出せないんだけどね。


んで、高校3年といえば、私がプロレスのオーディション受けちゃって、合格しちゃったもんだから新聞に載って学校にバレて大騒ぎ。


大学の内部優先を取っていたのに「某私立女子大を蹴ってプロレス入りの変わり種」とスポーツ新聞に書かれてしまったのが原因で、学校は大学にも迷惑かけたってことでたくさん怒られた。。。


そのまま進むと各方面に迷惑がかかるってことで、校長先生とか学年主任の先生はあの手この手で両親含めて諦めさせようと何回も学校に呼ばれた気がする。覚えてないけど。あ。部活の顧問からも電話かかってきた。たぶん学校としては不祥事だったんだと思う。


そんな中、清水先生は私にも

「何がいいのか知らんけど、やりたいことがあるなら周りのことは大人がどうにかするからやりなさい」

と言ってくれたんだぁ。


あんまり話したこともなかったんだけど、先生と仲良くしてた友達からは、シミ(清水先生)の立場はけっこうヤバくて、来年は担任を持てなくなると聞かされたりもしたんだよね。


そのことを「先生大丈夫?」って聞いたら「別に担任持たなくてもいいし、そんなことは気にするな」とも言ってくれたんだ。


清水先生が亡くなって、ママちゃんとこの話ししたら、うちの親にも「大学には謝ってきたし、退学にもならないから、本人のやりたいようにさせてあげてください」と言ってくれてたんだって。

知らなかったけど。


退学になりそうだったことも、知らなかったんだけど。。。


無事に卒業できたのも清水先生のおかげだったみたい。


結局、プロレスに入らなかったのはママさまの

「うちの親戚見てごらん。何か極めた人いないでしょ。適当にやってれば大丈夫だけど、何か一つを成し遂げるには周りが見えないくらい打ち込むことが必要だけど、お前みたいに落ちたら大学行こう。なんて子はプロじゃ通用しないわよ」

みたいなこと言われて、おお、そーかもしんない。なんて思ったからなんだよね。


中途半端なことした自分がいけないんだと思ったし。


仲の良い子たちは親の承諾書を勝手に書いてくれたり、オーディション用の写真撮ってくれたり、協力してくれてたので、大人に言われて諦めたことは恥ずかしかったように思う。


それからしばらくは、何年かは、後悔しかなかったし、今でも人生なんて長いんだから自分で努力して掴んだチャンスをなぜ手放してしまったのかと思う。


その後もそれなりに楽しい人生だし、あれ以来、やりたい事も、なりたいものもないんだけど、後悔というのはそのことひとつだけだと、今もたぶんこれからもそう思う。


何年か前に、清水先生のお宅に行く機会があって、一応まあまあちゃんとした大人になったからお詫びしたんだけど、やっぱりその時のことは覚えていてくれたんだよねぇ。


普通はそれだけお世話になったんだから、欠かさず年賀状出すとかするじゃん?


それが、たまたま誘われるまで一度も卒業してから連絡したこともなかったんだ。


そーゆー不義理な人間なんですわ。


最後のメッセージも集めて葬儀のときに添えてくれると聞いたけど、もっと先生とずっと仲良くしてた子たちもいたから、私は感謝とお詫びを心でしただけ。


色んなことを忘れちゃうけど、あの時のことは私はずっと忘れないから、私はそれでいいと思ってる。


大人で「やっていいよ。やりなさい」と言ってくれたのはただ一人だったから。


結局、私はやらなかったけど、それでも翌年清水先生は担任を持たなかったから、そのことと引き換えに戦ってくれたことはわかってる。


先生、ごめんなさい。先生、ありがとうございました。


んで、写真はそんなことがあったなんて全く感じない楽しい高校3年生の私たち(笑)


バカだったけど、今も変わらずバカだよ(笑)


今でも連絡取り合ってたまに会う友達のグループの名前は「バカ会」だもの。変わっておりまっせん!


そーいえば、小学生のときは「いじめ」ってあったけど、中高のときは「いじめ」は無縁だったなぁ。