一途 | 競売不動産で海外移住

競売不動産で海外移住

競売による物件落札で人生が大きく好転、セミリタイアを実現し2013年より家族でのマレーシア移住を開始。競売と日々の生活情報を気ままにアップしていきます!

叔父は、父と11歳も離れた弟で未だ独身。



それだけに、父にとっては、幾つになっても心配で気掛かりな存在だったのでしょう。



認知症が進み、私のことが誰だか分からない状態もしばしばでしたが



叔父の名前を出すと目が見開き、笑顔になることもあれば、困ったような複雑な顔をして反応するのです。



父が息を引き取った日も、初めて口を動かし何かを伝えようとしたのは、叔父が面会に訪れ父に声を掛けた時でした。



そんな叔父と、父が眠りについたのを機に一旦施設を離れ、レトロな駅前の喫茶店に二人で入ります。





叔父は、子供の頃から父に怒られてばかりで怖い兄貴だったけど、そこには優しさが溢れていたと語り始めました。



農家の長男に産まれた父は、農業高校を卒業した後は、鉄鋼所に勤務しつつ



週末にはバイクで往復約2時間を掛けて、実家の農作業を手伝いに行く日々。



頻度は減ったものの、そうした生活は父が脳挫傷を起こした50代の時まで続けていました。



そんな父は、社会人になって手にした給料から、中学高校時代の叔父に対して、ずっと参考書を贈っていたのだそうです。



初めて聞きました。



その期待には応えられなかったのだけどと叔父は笑い、俯向きます。



父の訃報を伝え、帰り途から慌てて戻って来た叔父は、人目を憚ることなく亡骸に全身を預け、堰を切ったように泣き叫んでいました。



母の時にお世話になった葬儀社に連絡を入れ、施設から運ばれてく父を見送る際も



「寂しいよ」と叔父は肩を落としたままです。



遅い時間に、車を運転させて帰すのが心配になるほどに。



その日、菩提寺住職の予定と火葬場のスケジュールを葬儀社と確認しつつ、その後の日取りを決定していきます。



ここでも葬儀社から、ここ数年お亡くなりになる方が非常に多く、火葬場の空きが少ないことを知らされました。



過去ブログ 



私達は運良く5日後の週末を押さえることが出来ましたが、同じ千葉県内でも場所によっては14日間待ちも決して珍しくないようです。



 


打ち合わせが終わり、姉・妹夫婦と「お腹が空いたね」とファミレスに入って一息ついたのは、既に日付が代わった頃でした。







優柔不断で、メニューを見ながらいつも何にするのかで迷い



父待ちの時間が流れる中で、結局いつもの「ハンバーグ&海老フライ定食」を頼んでいた父。



「結局いつもそれじゃん」と家族から誂われるのがお決まりのパターンでしたが



「母に対する変わらぬ想い」と同様に、「一途」な面だったのでしょう。



長い1日が終わり、翌日には父が過ごした部屋の荷物整理。





そう言えば、入居前に父と施設に置く家具を買いに行き、椅子1つ選ぶのにも物凄い時間が掛かったことを思い出します。



長男として実家の農業を支えるために、自分は農業高校に入り、歳の離れた弟には勉強をする大切さを説いていた父。



しかしながら、その進路を選ぶにあたっては葛藤し続け、恐らく決断するのに相当な時間が掛かったのではないだろうかと、ふと思ったのでした。



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