「競売大好き」です。
マレーシア引き篭もり監禁生活7日目。
※監禁生活の理由はコチラ
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本日は3月11日、あの東日本大震災から9年が経過しました。
当時サラリーマンだった私は、曳舟近辺にあったお客様と商談中にありました。
突如として襲った大きな揺れに、商談スペースのパーテーションが吹っ飛び、揺れが収まるまでお客様と机の下に隠れておりました。
エレベーターが停まってしまったので階段を急いで20階程下って建物の外に出ると、そこで第二波の強い揺れが発生。
建物が大きく揺れているのが分かりましたし、「建物が崩れるから皆離れろ〜」なんて怒鳴る方も周囲にいてパニック状況です。
建築中のスカイツリーのてっぺんで、クレーンのフックが揺れに揺れているのを見て、上で作業をしている方は大丈夫だろうかと気になった記憶があります。
その後に発生した交通麻痺により、歩いて自宅まで帰る事になりましたが、テレビが映し出す凄まじい津波被害と、その後連日で起きた原子力発電所の爆発は私達を恐怖に陥れました。
放射能による健康被害が喧伝される中で、3月14日には当時4歳の娘と8ヶ月の息子を連れた妻は、兎に角西へと岡山に緊急避難しました。
約1ヶ月の避難生活によって家族と離れ離れになる事で、小さな子供達と一緒に安心安全に暮らせることができる場所は無いだろうかと真剣に考えるようになったのです。
放射能汚染が子供達にとって、今後どれだけの影響を及ぼすかは皆目つきません。
全く持って心配が稀有に終わる可能性もありますし、何年も蓄積された後に突如事態が発覚するかもしれません。
そうした中で、地震や原発の無いエリアへの移住という選択肢を考慮することとなったのです。
当初は避難していた岡山が、一番近い原発でも100km以上離れている事に加え、台風や地震災害が少ない事がわかり、第一候補となりました。
それ以来、競売入札も岡山を中心に原発が近くに無いエリアの物件にシフトしていきました。
そして移住に必要なVISAや永住権のある海外国も視野に入れる中で、地震や原発の無いマレーシアを意識する事となったのです。
その際に参考となったのは、以下の書籍でした。
マレーシアは、異なる言語・人種が共存する多様性に富んだ国です。
共通言語である英語は勿論、中国語も広く使われてる環境にあります。
また外国人が入学可能なインターナショナルスクールも多くあり、イギリス系やアメリカ系、国際バカロレア等、様々な教育スタイルの選択肢がある事も魅力的にうつりました。
更に永住権では無いですが、MM2H(マレーシアマイセカンドホーム)という10年更新のVISAを取得することで、家族全員が移住しやすい下地があったのです。
マレーシアの教育環境を利用して子供達を育てるのも、何だか楽しそうでワクワクするねというのが夫婦の共通認識となりました。
ただ、当然の事ながらサラリーマンとしての収入が無くなったとしても暮らしていけるのかという不安が大きく立ちはだかります。
そうした中で、早く第二の収益不動産を手に入れるぞと強く心に誓ったのでした。
最後に東日本大震災で甚大な被害に遭われた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。