11/4 今日のひと言―流れるものを掴んでも、仕方がありません。 | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。


2015年11月4日  琵琶湖畔 打出浜にて




 

11月4日(水)  


 

流れるものを掴んでも、仕方がありません。


諸行無常……。

 

有為転変は、世の習い、世の常としても、
互いに堪忍しあわなければ生きてゆけない、

この忍土の世界に在って、

娑婆世界の苦楽を背負い、


道の後先を歩むも、

流れ、流れて、
この世の岸、あちらの瀬で世流れ……。

 

もとより、
人の心は推しはかることはできませんが、

 

自分の思惑通りにしようとするために、
憂い悩むのです。

 

この世に存在するものすべては、
その姿、形、本質も、常に流動変化しながら、
一瞬たりとも、とどまることはありません。

 

永久不変なるものなど一切なく、
あらゆるものは、

 

刹那の間にも、
縁によって、絶えず変化をくり返しているのです。

 

軋む心の扉は、自身に似たものを、

自らが、想念で引き寄せているのです。
 

彼は彼、吾もまた吾。
今の世の波風に、和して同ぜず。

時代の流れに智慧の棹をさし、心を練るのです。


こだわる心までをも、捨てきってこそ、
これまで見えなかった、

道筋が見えてくるのかもしれません。


今を厭い、夢まぼろし……

幻想の幸せを憶っても仕方のないことで、

 

孤絶の中で、不快なことを考えますと、
次々と浮かぶ しがらみの海に溺れてしまいます。

 

生滅するから苦なのではなく、
生滅する存在―であるにもかかわらず、


これを、常に変わらぬもの―と観るところから、
身の内に苦が生じるのです。

 

朝には咲いているだろうと、
夕べに憶っていた花々も、
夜半の雨に遭えば、儚く散ってしうものです。

 

昨夜からの、花散らしの氷雨に、

思わずため息をついてしまいます……。


この寒空を舞い飛ぶ、ユリカモメたちの姿も、
去年、眼にした群れとはまた異なるのかもしれません。


やがてこの群れも、

いつの日か飛び去ってしまうことを憶いますと、

 

諸行無常……。


すべては因と縁によって生まれ、
やがて滅してゆくのだと……。

 

しかしながら、

苦とは雖も、この人生の旅路に在って、

せめて、苦と憶うことなかれ。

 

自らの命のはたらきを信じて、

この道を歩いてゆかなければなりません。






2015年11月4日(水)   琵琶湖畔 打出浜にて



 

よいお出逢いがありますように……。
 


                 合掌

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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