11月5日(木)
仏さまの物さしで応えると、焦点がぼやけないようです。
人生の道中に、粗雑に流し、
捨ててきた水を拾い集めるように、
自分の本来の姿に目覚められるや、否や……と、
来し方を反省いたしております。
この世に生を受けてから、
いのちを使い果たすまで、
……生老病死。従容として、
人は、人生の晴れ、雨を問わず、
この人生の細道に、
使命……その意味を問いながら歩いているのかもしれません。
風に吹かれるがまま、場所も選べず、
大地に芽吹こうとする一粒の種。
長い冬を忍び耐え、地中から幼芽を出し、
若葉を繁らせ、蕾を持ち、
時が至れば自然の中で、 とりどりの花を咲かせます。
見返りを望まず、ただひたすら、
一途に咲く野の花。
秋になれば、人の心に、
美しい余韻だけを残して散っていくのです。
人も、外見を美しく装ったり、 取り繕ったりすることもなく、
飾りを捨て、意地と執念を捨てて、本音で言葉を交わす時に、
互いの、思い入れが結びつき、
多少の隔たりがあった彼の人との対話も、
すれ違っていただけなのだ……と、
気づかされる日が近いのかもしれません……。
風のゆくまま、花は場所を選べませんが、
人間だけは、
この世に生を受けてから、命を全うするまで、
この世の中を生きる生き方を、自らが選べるのです。
命の根っこを、人生という地中に深く伸ばし、
しっかり根を張って生きてゆく。
細く柔らかいなよ竹は、
強い風が吹いてきた時にも、
凛として、しなやかに柔軟に対応できる芯の強さがあります。
これを、心の柱に据えることができたら……と、憶います。
今を、耐え忍ぶ。
挫けない。
そして、屈しない。
2015年11月5日(木) 合掌
よいお出逢いがありますように……。
合掌
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