11/3 今日のひと言―百尺下を泳いで見る、光のカーテンが注ぐ空の碧さ…… | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。

2015年11月3日   琵琶湖畔 打出浜にて


 

 

11月3日(火)  


 


 

百尺下を泳いで見る、

光のカーテンが注ぐ空の碧さ……

 

無一物だとしても、無ければ無いなりに……


 

人は、何処より来たりて、何処へか去る。
消えずといへども夕べを待つことなし。


この世に生まれ、生まれ……

逝く人……人……

 

苦しみの種である愛憎問題に心を悩ませては、
吹ききすさぶ風雨に頬を打たれ、

 

流れ流されたとしても、

どこから来て、どこへと、還ってゆくものかは、
未だ、知る人は誰もいないのです。

 

 

この人の世は、夢まぼろし、

はかない露の間の命―と、
嘆くだけでは、感傷にすぎません……。

 

人の世の生死の常は、

浮かんでは消える、水の泡のように儚く、

 

総じて、この世の中は住みづらいと嘆く人は数多あり。

とにもかくにも、この世の中は生きにくいものです。


 

しかしながら、もとより、
他人さまの心は、推しはかることはできませんが、


百尺下を泳いで見る、

光のカーテンが注ぐ空の碧さを、

 

魚でなければ、

水の中で暮らすことの楽しみを、

知る由もないように、

 

どんな場所であったにしても、

そこが、心安まる居所なのです。


無常な世の中に在っても、絶望する事なく。

 

落胆と、挫折の中で得た経験を忘れず。

 

夢まぼろし、はかない露の間の命―の中にも、

活々と生きればよいのです。

 

無一物だとしても、仮の宿りだとしても、

無ければ無いなりに、その現実を受け容れながらも、

身の丈に応じて、自分らしく、淡々と生きる―。

 

惺々著 しっかりと目覚め、

どのような風が吹こうと動ずることなく、

日暮らしではあっても、泰然とした心境で……。


このように、私は憶っているのです……。




2015年11月3日(火)   琵琶湖畔 打出浜にて

 


 

よいお出逢いがありますように……。

 


                 合掌

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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