演出を世界的演出家デヴィッド・ルヴォーが手掛け、主人公ハムレット役を市川染五郎が務めた。

 

デンマーク王国の王子ハムレットは、父である国王の急死に深い悲しみを抱えていた。しかしその直後、母ガートルードが父の弟クローディアスと再婚し、クローディアスが新たな国王として即位したことに強い疑念と憤りを覚える。ある夜、父王の亡霊がハムレットの前に現れ、自らはクローディアスによって毒殺されたのだと告げる。父の無念を知ったハムレットは復讐を決意し、その真相を探るため狂気を装って行動を始める。やがてハムレットは、芝居を利用してクローディアスの反応を探り、叔父の罪を暴こうとする。しかしその過程で、恋人オフィーリアや彼女の父ポローニアス、友人たちを巻き込みながら事態は悪化していく。疑念と復讐心に突き動かされたハムレットの行動は、次々と悲劇的な連鎖を引き起こし……。

 

市川染五郎が主演を務めているということで観劇。もう20歳を超えているんだねえ。

 

知的だが反抗的で好戦的な若者像で、生命力ある身体表現も含めてとても良かった。手のひらを上にして指をさすジェスチャーが多過ぎる点と、ボール(なぜかサッカーボール)の扱いがぎこちなすぎる点だけ気になったものの、長台詞にいたるまでしっかりと自分のものにしていて素晴らしかったと思う。なんといっても、2階席からでも吸い込まれそうになる美しさは最大の武器。彫刻のような造形美は彼の圧倒的な個性であり、同世代の誰も敵わないだろう。

 

ただ、他のキャストに関しては……アンサンブルは達者な役者が多かったのに対して、メインキャストの力量があまりにも心許なかった、おかげで、「ハムレットだけが暴走している」という空気がバシバシ出ていたものの、ガートルードとの対峙シーンがあれじゃあどうなのよ(柚香光の美しさもこの世のものとは思えないレベルなので、ビジュアル的には最高だったのだが)。初舞台だった當真あみは仕方ないにしろ、ハムレットの熱演に周りがついていけていないという印象が強く残念だった。

 

ラストのフォーティンブラスの高圧的というか暴力的なキャラクター造形や、ピアノが燃える、波の映像などの演出は……パッとは飲み込みづらかった。ただ、ああいう風にシェイクスピア悲劇を戦争や文明社会の破壊といったテーマに結びつけるのってなんか流行ってるのかな。前にもなんかで観たんだよね。

 

 

 

 

1980年代に人気を博した玩具・アニメシリーズ「マスターズ・オブ・ユニバース」の実写映画化作品であり、1987年版に続く2度目の実写映画。監督は『バンブルビー』のトラヴィス・ナイト、主演はニコラス・ガリツィンが務める。

 

惑星エターニアの王子アダムは、幼い頃に故郷で勃発した戦争から身を守るため、遠く離れた地球へ送り出される。家族や故郷と引き離されたまま15年の歳月が流れ、地球で成長したアダムは、自らの運命を変える伝説の武器「パワーソード」を発見する。剣の導きによって故郷エターニアへ帰還したアダムであったが、そこで目にしたのは、邪悪な魔導王スケルターの支配によって荒廃し、陥落した王国の姿であった。家族や仲間たちは追い詰められ、世界は滅亡の危機に瀕していた。アダムは戦士ティーラやマン=アット=アームズらと力を合わせ、自らの宿命を受け入れる決意を固める。そしてパワーソードの力によって、宇宙最強の戦士「ヒーマン」へと覚醒する。ヒーマンとなったアダムは、故郷エターニアと宇宙の未来を守るため、スケルター率いる悪の軍団との壮絶な戦いに挑む……。

 

観る気はなかったんだけどなー。なぜか成り行きで鑑賞。

 

字幕版で観たのだが、完全に子供向け映画なのでセリフがちょっと幼くて楽しい。汚い言葉も一切出てこないし、悪役のスケルターなんて5歳児みたいな言葉も発する(エンドクレジットでジャレット・レトが演じていると知り笑った)。いわゆる「脳筋映画」という感じで頭が良さそうな要素が一切ないのだが、そのつきぬけた感じが楽しい。

 

主人公のアダムは地球にいたせいで全然戦闘能力がないにも関わらずムキムキ。武力による解決を全力で避けようとするキャラクター造形が面白い。とはいえ、剣の力によって覚醒して強く離れるんだけどね(さすがにね)。

 

なんで引き受けたのか謎のイドリス・エルバや、ティーラ役のカミラ・メンディスも魅力的だし、戦闘や登場するガジェットもいちいち楽しめる。最後に唐突に「対話が大切」とか言い出すところも子供向け映画っぽくてホッとする。地球でどんな風に育ったのかとかよくわかんなかったし、地球になんの未練もないのか?と思わないでもなかったが、まあそういう細かいところはどうでもいいのだろう。スタッフがきっと心から楽しんでつくったんだろうなという明るさがあって好印象な映画だった。

 

が、しかし!140分は長いよ!子供の集中力切れるって!私の集中力も切れたもの!こういうのは100分でまとめなさいよ!

 

か 

スペインの映画監督オリベル・ラシェが監督・脚本を務めた2025年製作のロードムービーである。ペドロ・アルモドバルがプロデューサーとして参加し、2025年の第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。これ、ネタバレ観ないで映画館に行った方がいい。だから、ここから先は既に観た人か、観る予定がない人が読んでね。

 

モロッコの砂漠地帯で開かれる大規模なレイブパーティに参加したまま行方不明となった娘を捜すため、父ルイスと息子エステバンは砂漠の奥地へ向かう。二人は娘の手がかりを求めて、爆音のダンスミュージックが鳴り響く野外レイブ会場へたどり着く。そこは現実と幻覚の境界が曖昧になるような異様な空間であったが、娘の姿はすでに消えていた。父子は娘が次に向かったとされるレイブ会場を目指し、放浪する若者たちのグループに同行する。しかし旅は次第に単なる捜索から、生死の境界をさまよう極限のサバイバルへと変貌していく。果てしない砂漠、迫り来る危険、そして世界の終末を予感させる不穏な状況の中で、彼らは自らの運命と向き合うことになる……。

 

「シラート」とは、アラビア語で「道」を意味し、イスラム教においては審判の日に天国と地獄の上に架けられる橋を指す言葉。本作は、このタイトルに込められた意味を強制的に体感させされる砂漠の寓話だ。

 

砂漠に無造作に置かれた巨大なスピーカーから鳴り響く地鳴りのようなリズムと音。山肌に向き合ってリズムと音に身を任せる人々。ゲリラ的に行われている砂漠レイブの様子が延々と繰り広げられる映画の始まり。映画館の音響を通して観客の身体に直接的に作用するこのレイブの音楽こそ、本作の要であり最大の特徴だろう。ストーリーを見せるというよりも、この映画を体感させる。無理やり観る者の腹に響かせにきている暴力ともいえる能動的な表現方法が斬新で、本作を唯一無二の作品たらしめている。

 

レイブ会場に現れる場違いな親子。娘を探していると人々に聞いて回る中年男と、日本語らしき不思議な文字のTシャツを着た可愛らしい少年。そして犬。砂漠を走るには頼りないバンに乗って娘を探しに来たこの親子は、疑似家族のように行動するフランス人を中心としたグループの後を追って次のレイブ会場へと向かうことになる。

 

助け合いながら徐々に交流して心を通わせ、そのうち父親も音楽を通して失踪した娘の気持ちを理解するように……なんているほっこりロードムービーを想像していたら大間違い。モロッコからモーリタニアへの旅は徐々に過酷になっていき、ついには死の危険に晒されるような状況にまでなっていく。どうやら背景ではモロッコとモーリタニアの間の戦争が再開された模様で、道路は封鎖されモロッコ軍が砂漠に出現する状況になっている。ラジオから流れてくるニュースも不穏で、世界は暗い方向へと突き進んでいるようだ。

 

親子はおそらくスペイン人。レイブピープルたちの多くはフランス人で、英語を母語とする男性も混じっているようだ。多国籍のグループかつ片手がない男性と義足の男性が含まれている。女性はふたりで、ひとりは金髪の完全な白人。もうひとりは別の大陸の血が混じっているように見える。男性は全員白人。「紛争が起こっているアフリカの砂漠で、ヨーロッパから来た白人たちが音楽を求めて能天気に車で旅をしている」という構図は見ていて居心地が悪く、LSDでハイになりながらお気楽に車を走らせる彼らの姿からはどこか現実感が欠けている気がした。

 

私も20代のときは頻繁に音楽フェスに通っていたのだが、爆音に身を任せている時間というのは浮遊感が合って、地面から浮かんでいるような感覚に陥るものだ。その快感が忘れられなくてまた足を運んでしまうわけだが、リアルな生活から逃避しているような、現実ではなく夢の中に迷い込んだような、あの不思議な感覚を「生と死の間」と重ねている映画なのではないかという気がした。

 

砂漠の中をひたすら進み続ける彼らを眺めていると、どんどん現実感がなくなっていく。「ああ、これはきっとメタファーであり寓話なのだな」と気づいてきたころ、物語はいきなり急展開を見せる。砂漠を走るパーティのうち、弱い者から順番に命を落としていくのだ。それも予測がつかないタイミングと方法で。そこから一気に本作はホラー映画の緊張感に包まれていくことになる。

 

この世界におけるマジョリティとして生まれ、生存バイアスに支配されている人間たちが、唐突にあっけなく命を落としていく。しかも、多くの映画がそうであるような「同情を呼ぶキャラクターは生き残る」といったセオリーは一切介在しない。監督自身も砂漠のレイブに参加する側の人間であり、親子以外は実際にレイブで声をかけた人々が演じているという話なわけだが、そんな自分たちを刹那的で無力な存在として自虐的に描いているということなのだろうか。

 

人生に意味なんてない。あるのは心臓の鼓動だけ。その心臓の鼓動は、死によって一瞬で奪われてしまうほどに呆気ないものでしかない。泣こうが、喚こうが、踊ろうが、笑おうが、怒ろうが、関係ないのだ。誰が生き残り、誰が死ぬかなんて、誰にもわからない。レイブの重低音を映画館が無理やり体感させながら、「生きる」と「死ぬ」の間の道がいかに細く頼りないものなのかを突きつけてくる不条理な寓話。最後に彼らが乗っていた列車は、死の世界からの帰還なのか、それとも死へと向かう乗り物なのか。配信で観ても何の意味もない作品だから、絶対に映画館で観て。