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スペインの映画監督オリベル・ラシェが監督・脚本を務めた2025年製作のロードムービーである。ペドロ・アルモドバルがプロデューサーとして参加し、2025年の第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。これ、ネタバレ観ないで映画館に行った方がいい。だから、ここから先は既に観た人か、観る予定がない人が読んでね。
モロッコの砂漠地帯で開かれる大規模なレイブパーティに参加したまま行方不明となった娘を捜すため、父ルイスと息子エステバンは砂漠の奥地へ向かう。二人は娘の手がかりを求めて、爆音のダンスミュージックが鳴り響く野外レイブ会場へたどり着く。そこは現実と幻覚の境界が曖昧になるような異様な空間であったが、娘の姿はすでに消えていた。父子は娘が次に向かったとされるレイブ会場を目指し、放浪する若者たちのグループに同行する。しかし旅は次第に単なる捜索から、生死の境界をさまよう極限のサバイバルへと変貌していく。果てしない砂漠、迫り来る危険、そして世界の終末を予感させる不穏な状況の中で、彼らは自らの運命と向き合うことになる……。
「シラート」とは、アラビア語で「道」を意味し、イスラム教においては審判の日に天国と地獄の上に架けられる橋を指す言葉。本作は、このタイトルに込められた意味を強制的に体感させされる砂漠の寓話だ。
砂漠に無造作に置かれた巨大なスピーカーから鳴り響く地鳴りのようなリズムと音。山肌に向き合ってリズムと音に身を任せる人々。ゲリラ的に行われている砂漠レイブの様子が延々と繰り広げられる映画の始まり。映画館の音響を通して観客の身体に直接的に作用するこのレイブの音楽こそ、本作の要であり最大の特徴だろう。ストーリーを見せるというよりも、この映画を体感させる。無理やり観る者の腹に響かせにきている暴力ともいえる能動的な表現方法が斬新で、本作を唯一無二の作品たらしめている。
レイブ会場に現れる場違いな親子。娘を探していると人々に聞いて回る中年男と、日本語らしき不思議な文字のTシャツを着た可愛らしい少年。そして犬。砂漠を走るには頼りないバンに乗って娘を探しに来たこの親子は、疑似家族のように行動するフランス人を中心としたグループの後を追って次のレイブ会場へと向かうことになる。
助け合いながら徐々に交流して心を通わせ、そのうち父親も音楽を通して失踪した娘の気持ちを理解するように……なんているほっこりロードムービーを想像していたら大間違い。モロッコからモーリタニアへの旅は徐々に過酷になっていき、ついには死の危険に晒されるような状況にまでなっていく。どうやら背景ではモロッコとモーリタニアの間の戦争が再開された模様で、道路は封鎖されモロッコ軍が砂漠に出現する状況になっている。ラジオから流れてくるニュースも不穏で、世界は暗い方向へと突き進んでいるようだ。
親子はおそらくスペイン人。レイブピープルたちの多くはフランス人で、英語を母語とする男性も混じっているようだ。多国籍のグループかつ片手がない男性と義足の男性が含まれている。女性はふたりで、ひとりは金髪の完全な白人。もうひとりは別の大陸の血が混じっているように見える。男性は全員白人。「紛争が起こっているアフリカの砂漠で、ヨーロッパから来た白人たちが音楽を求めて能天気に車で旅をしている」という構図は見ていて居心地が悪く、LSDでハイになりながらお気楽に車を走らせる彼らの姿からはどこか現実感が欠けている気がした。
私も20代のときは頻繁に音楽フェスに通っていたのだが、爆音に身を任せている時間というのは浮遊感が合って、地面から浮かんでいるような感覚に陥るものだ。その快感が忘れられなくてまた足を運んでしまうわけだが、リアルな生活から逃避しているような、現実ではなく夢の中に迷い込んだような、あの不思議な感覚を「生と死の間」と重ねている映画なのではないかという気がした。
砂漠の中をひたすら進み続ける彼らを眺めていると、どんどん現実感がなくなっていく。「ああ、これはきっとメタファーであり寓話なのだな」と気づいてきたころ、物語はいきなり急展開を見せる。砂漠を走るパーティのうち、弱い者から順番に命を落としていくのだ。それも予測がつかないタイミングと方法で。そこから一気に本作はホラー映画の緊張感に包まれていくことになる。
この世界におけるマジョリティとして生まれ、生存バイアスに支配されている人間たちが、唐突にあっけなく命を落としていく。しかも、多くの映画がそうであるような「同情を呼ぶキャラクターは生き残る」といったセオリーは一切介在しない。監督自身も砂漠のレイブに参加する側の人間であり、親子以外は実際にレイブで声をかけた人々が演じているという話なわけだが、そんな自分たちを刹那的で無力な存在として自虐的に描いているということなのだろうか。
人生に意味なんてない。あるのは心臓の鼓動だけ。その心臓の鼓動は、死によって一瞬で奪われてしまうほどに呆気ないものでしかない。泣こうが、喚こうが、踊ろうが、笑おうが、怒ろうが、関係ないのだ。誰が生き残り、誰が死ぬかなんて、誰にもわからない。レイブの重低音を映画館が無理やり体感させながら、「生きる」と「死ぬ」の間の道がいかに細く頼りないものなのかを突きつけてくる不条理な寓話。最後に彼らが乗っていた列車は、死の世界からの帰還なのか、それとも死へと向かう乗り物なのか。配信で観ても何の意味もない作品だから、絶対に映画館で観て。