わたしの大まかな歴史③ | 兄からの暴力に耐えた20年~心の叫び~

兄からの暴力に耐えた20年~心の叫び~

アラフォー、2児の子を持つ既婚者です。
70代になった両親及び兄のこと、ずっと心に蓋をしてきたのですが、彼らの死を予感する年齢になり、幼少期からの心のオモリを誰に叫べばいいのかとウツウツとしている自分に気付き、ここでひっそりと書いてみようと思いました。

 

の続きです・・・・

 

兄は高校に入ってからもほぼ変わりませんでした。

ただ目に見えて、不良軍団も落ち着きを持ちはじめ、兄だけ宙ぶらりんと浮いていました。

みんな進路やこれからのことを考え始めているのに、幼い兄は何1つ考えられません。

もし幼少~高校生の時に、兄の発達状態が人と違うこと、心に寄り添ってあげられる人がいたのなら、彼の人生は変わっていたと思います。。そしてそれは一番近くで彼を見ていた母の責任であったはずだとわたしは今でも思っています。

 

高校生の兄は、その時その時で仲良くしてくれる人に固執を続け、嫌われる、というループ。

友人に対して良い人を演じて溜まったストレスは母へ私への家庭内暴力で解消。

母は殴られるのが嫌で、なんでも言いなりにしていました。

息子と対峙するのを諦めたのです。

本当に残念すぎる母でした。

私は心底、同じ女性として、母になるべきでなかったと、母を軽蔑していました。

 

私は中学で部活も遅くなり、兄と接する時間は減っていき、暴力を振るわれる機会も少なくなりました。

ただ少しでもドライヤーの場所が違う、廊下で隅によけなかったなどの理由で暴力を振るわれるので、ただの一度も反抗することなく、全て言われた通りに、ただひたすら耐え続けた日々です。

 

両親は、兄にお金は好きなだけ与え、何時に起きても言われたものをすぐに提供する奴隷のような生活という悪循環が出来上がってました。

生まれてからたった17年でこんなにも悪循環が完成してしまったなんて、「おめでとう」といわれて生まれたはずなのに、我が家庭のことながら、本当に悲しい出来事です。

 

そしてその頃私は壊れかけた心をなんとか保ちながら、ある意味両親をばっさりと捨て去り、「最低の母親だ」と毎日軽蔑してあざ笑いながら、表面上は優等生を通していました。なぜなら、この地獄から脱却するのには、優秀な学校を卒業して、優秀な社会人になり、早く家を出なければいけない、と自分なりに悟ったからです。

 

このあと、兄の進路としては・・・

専門学校に行く、専門学校から就職を斡旋してらもい当初働き始めるも1年半ほどですぐ退職する。

それ以降20年間ニートです。

 

心底恐ろしい時間は、兄が成人したあとに始まったのです。