①の続きです・・・
兄が中学に入学すると、ますます友達とのコミュニケーションが上手くいかず、勉強もできず、グレる一方でした。
ただいくらグレていても、根底にある、”視野や視点、考え方が幼くズレている”という点は変わらないので、だんだん不良仲間からもハブられたりと疎遠にされていってました。
そうすると友達関係を続けてくれる数少ない人に固執するようになり、
その人たちにはずーっといい調子の人格だけを見せて、何でも言うことを聞いていました。
うちを溜まり場にし、親から取り上げたお金で好き放題やってました。
自由に過ごせる部屋・たばこを買ってくれて吸える部屋を提供してくれる都合のいい友達だからつないどくか・・・っていう友人たちの考えも見抜くことができない程、幼かったのだと思います。
また、幼い考えのため、キレだすポイントも少しおかしい状態が続いていました。
「勉強しなさい・学校へいきなさい」などでキレるのではなく、「オレの話を目をみて聞いてくれていない、本気で心配していない」などでした。
本当に愛情に飢えていたのだと思います。
その頃には、父と兄は完全にノーコミュニケーションでした。
父は俗に言うエリートサラリーマンです。
なので、夜も日曜もほぼいません。
わたしも、塾に行ったり、自室にこもって勉強したり、と、なるべく関わりを持たないように過ごしていました。
リビングでテレビを見ていたりすると、通りざまに殴る・蹴るなどされたりすることがあり、暴力が始まると母にはもう止められないので、なるべく触れ合わないようにするしか対策がありませんでした。
母に対しても暴力、往復ビンタを何度もする、馬乗りなって殴る、タバコで焼印をつけるなどしていまして、低学年の頃は「やめてぇぇ」と泣いて止めていましたが、高学年になったわたしは、幼い頃から見ていて親の対応が非常にマズいという事実にたどりついていまして、自業自得だよという気持ちで、わたしも止めることもしませんでした。
なんなら憎いはずの兄ですが、
こんなにわたしが殴られているのに、対応してくれない親もおかしい・・・
「もっと怒っていいはずだ、殴れ」 「こんなどうしようもない親 殺してしまえ」 くらいに思ってました。
この頃から、母が何故本気で兄に向き合わないのか、何故こんなに放置するのか、理解不能な母の行動に、怒りと冷めた気持ちが募っていきました。