お父さん ありがとう | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

 

 

 

父の葬儀を終え

父の故郷にある先祖代々のお墓へ納骨に行くと

驚いたことに兄が駆け付けてくれました

 

 

10数年ぶりの再会でした

 

 

 

兄も姉も、わたしが父と親交があったことを

冷ややかな目でみていたので

わたしと兄姉の間にはぎこちない距離があり

家族と言っても 心が通わないこともあるんだな・・と

再会できてうれしかった半面 

寂しくもありました

 

 

 

 

わたしが過ごした父との時間や会話は

兄や姉は体験していないのだから

昔の父しか知らない兄と

父の嫌なところしか見えなかった姉とでは

父への想いが全く違うのは

当たり前といえば当たり前です

 

 

 

 

ふゆはおひとよしで考えが甘い

よくあんなお父さんと付き合えるな

と言われていましたが

わたしにとって父は真心で接しあえるひとでした

 

 

 

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忘れられない恥ずかしい思い出があります

 

 

 

ある時、わたしの娘が欲しがったスティッチのぬいぐるみを

父が買ってくれました

喜んでスティッチを抱えていた娘は

デパートを走り回ってるうちに スティッチを置き忘れ

わたしが気づいて娘に渡しながら

 

 

「パティ、これさっきおじいちゃんが買ってくれたばかりのスティッチよ

大事にしなさい 

高かったんだよ」

 

と言いました

 

 

それを横で聞いていた父は咄嗟に

 

「ふゆ、金のことは言うな」

 

とわたしを諫めました

 

 

 

 

父は おじいちゃんが買ってくれたという思い出を

孫に大切にしてほしかったのに

 

決して裕福ではなかった父に出費をさせたことが気がかりだったわたしは

「高かったのだから大事にしなさい」

と娘に教えていたのでした

 

(今思い出しても恥ずかしいです)

 

 

 

そんな小さな会話を見逃さず

心を大事にすることを父はいつもさりげない日常で

教えてくれていました

 

 

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また、情にもろくて変に正義感が強くて

 

 

夜中に車を走らせていると

若いひとが大勢でひとりに暴行を加えている場面をみかけ

通り過ぎようと思っても 我慢できず

ええい!と車をUターンして

車に積んでた木刀を持って 助太刀に行くような 

命知らずなところがありました

 

 

 

 

冬にお年寄りがバス停で待っているのを見かけると

自分の車で乗せて送ってあげたい

でも俺はこんな風貌だから怖がられるんだよな・・

よくつぶやいていました

 

 

 

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お父さん、やっとお兄ちゃんにも会えたね

久しぶりに兄妹三人が揃ったよ

お父さん良かったね

 

 

わたしは父のお墓に向かって心の中で語りかけました

父の笑顔が浮かびました

 

 

父の納骨も無事終わり

兄も姉も其々の場所へ戻っていきました

 

 

 

 

 

父の選んだ最後の逝きかたは

わたしにとって本当に悲しいもので

そこから立ち直るのには かなりの時間がかかりました

 

 

 

 

でも

みんないつかこの世界を去っていく

 

 

父が去っていった日のことばかり思い出して泣くよりも

父が一生をかけてどんな風に生きたか

それをもっと覚えておこう、と思いました

 

 

 

どんな去り方をしたか、に焦点を置くのではなく

どんな風に生きたか 

それが父なのだ、と。

 

 

 

遊んでばかりで浮気して暴力をふるい酔っぱらって

はちゃめちゃで暴君だった父が

 

後年は一生懸命 変わろうと努力して

 

 

不器用で粗野だけど愛情深く

心からまっすぐ話してくれて

わたしの心に響く言葉をたくさん残してくれました

 

 

 

色んな事がありましたが

多くの経験と感動を与えてくれた

それはわたしが生きていくうえで大きな糧となっています

 

 

 

 

父の最後の瞬間 わたしは本当に情けない娘でしたが

それすらも、これからは後悔しないよう 

愛するひとを大事に

一日一日を大切に生きよう、と

心に刻まれた大事な大事なレッスンとなりました

父には感謝しかありません

 

 

お父さん ほんとうにありがとう。

 

 

 

 

長々と書きましたが 読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

 

あだ名はカストロ議長とか、ビンラーディンだったそうなw