いなくなったお父さん | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

続きです 

 

 

 

当時まだ保育園児のわたしは事情を知らず

 

 

 

ただ、一度だけ

おひるま、洗濯ものを畳んでいた母の横で

わたしが遊んでいたら

誰か、母の知り合いらしきひとが

部屋に入ってきたとたん

母とそのおばさんふたりが 急に顔を覆って泣きだしたのを覚えています

 

 

 

 

なんで泣いてるんだろう・・と

そのおばさんと母を

不思議なきもちで眺めていました

 

 

 

 

その後、手のかかる幼いわたしは親戚の家に預けられたのですが、

親戚になつかず、母を慕って毎日泣いた結果

半年後、母の元に送り返されましたw

(バンザイ) 

 

 

 

 

父と暮らしていたころは

二階建ての家に住んでいたのが

親戚の家からもどってみると

母は兄と姉を連れ、小さなアパートに暮らしていました

 

 

 

ママ、うちは貧乏なの?と

母に聞いたのを覚えています (子供は直球w)

 

 

 

 

それから父の居ない生活が始まり

母は三人の子供を抱えシングルマザーになり、

かけもちで仕事をし苦労をしていたのですが

 

 

わたしたち兄妹三人は自由に近所を走り回って遊び

楽しい子供時代を平和に過ごしました

 

 

 

 

ちなみに

父が急にいなくなった理由を

交通事故にあい大怪我をして遠くの病院に入院している、と

母はわたしたちに説明していました

 

 

 

わたしたちは週末になると父に

パパ、早くよくなって帰ってきてね、と手紙を書いていました

 

 

それが小学校高学年にもなると

兄も姉もだんだん手紙を書かなくなり

末っ子のわたしだけが手紙を書き続けていました

 

 

ぱぱ、早くよくなって帰ってきてね、と・・・

 

 

 

 

そんなある日、わたしが小学5年生になったとき

母がわたしたちを集めとつぜん、父が帰ってくる、と告げました

 

 

 

さすがに小学5年生にもなると

いくら大怪我をしても6年間も会えないなんてぜったいおかしい・・

入院なんて嘘だ

 

とわたしも勘づいていて

 

 

浮気ばっかりしてたパパだから

きっとよその女の人と家庭をつくって

どこかで暮らしているに違いない

 

 

 

くらいに考えていて

父が帰ってくると聞いて驚きました。

 

 

 

 

ところが母が話した、父が何年間も帰ってこなかった本当の理由は

 

 

父が刑務所に入っていたから、

でした

 

 

 

お父さんは事件を起こしてね

今まで刑務所に入っていたの

おつとめを果たし出所して帰ってくるのよ

 

 

 

そのとき

 

 

あまりの衝撃に

わたしは目の前がまっくらになって

ショックで頭が空っぽになって

なにも考えられませんでした

 

 

え・・・なにを言ってるの・・・?

 

 

すると、兄と姉は 知ってたよ・・と言いました

 

 

それもまた衝撃でした

 

 

 

ずぼらな母が置いたままにしてあった郵便物に

XX刑務所と書いてあったのを見たから

兄も姉も知っていた、と話していました

 

 

 

それまで無邪気に遊んで走り回っていた明るい世界が

急に恐怖に覆われていきました

 

 

いつもわいわいはしゃいで遊んでいた兄や姉も

なぜか他人のように感じました

 

 

知らなかったのは末っ子のわたしだけ

 

 

兄や姉は知っていたのか・・・

そしてずっと黙っていたのか・・

 

 

そういえばいつからか、兄も姉も父に手紙を書かなくなった

 

いつのころからか、家族で写真を撮るとき、

兄は写真に入らなくなった

姉は笑わなくなった

 

 

そうだったのか・・

 

 

そのとき、母は事件の詳細について話しませんでしたが

 

 

わたしは頭の中で事件を起こしている

父の怖ろしい姿を想像してしまい

父が犯罪者であること

わたしはその子供であることがショックで

お布団の中で声をころして一晩中号泣しました

 

 

 

 

わたしはもう、学校の友だちとは違うんだ

 

底なしの真っ暗闇の中に沈み込んでいくような気持ちでした

 

その事は誰にも話せない、わたしの重苦しい秘密となり

その後わたしは

影のある暗い子どもになっていきました

 

 

 

 

   暗い話でごめんなさい 今日散歩中に見かけた公園の明るいお花をどうぞ!