愛の光そのもののあなたへ
不幸そうに見えていた人、実は
あれで幸せだったのかもしれません。
父があちらの世界に還って9ケ月後
後を追うように母も還っていきました。
何歳まで生きるんだろう?と思うくらい
母は元気な人でした。
亡くなるほんの3ヶ月前まで
片道30分は歩いてました。
わたし達が生まれてからは
大きな病気をしたこともなければ
入院も一度もしたことがありません。
父が亡くなってからも
遺品整理をシャキシャキとこなしていました。
でも、2月に一度、転んでから
あれよあれよという間に弱くなっていった。
どちらかが先だって1年以内に亡くなる夫婦は
仲が良かったから
と聞きました。
そーなんだ・・・
あれで仲が良かったんだ・・・
ってことは
あれで幸せだったんだね。
なーんだ、そうとは知らず
一生懸命、なんとかしなきゃと必死だった・・。
要らない気遣いだったねぇ・・。
子どもの頃から
隙あらば父の悪口、愚痴を聴かされて
育ってきました。
そんなに嫌いなら別れればいいのに
何度、言ったし思ったことでしょう。
その度に
さしたる特技もあるわけじゃなし
生きていけないからしかたなく と
もっともらしい言い訳を聞かされてきました。
そうかと思えば
父のおかげでこんな生活ができるんだ
感謝しないとと言ってみたり。
どっちやねん?って話ですが
本心は別れる気はなかったのでしょう。
こうしてみると
本人も気づけずにいたでしょうが
仲が良かったんですね
嫌いも好きのうち だったんです。
こちらは真に受けて
夫婦喧嘩のたびにハラハラしたり
母がかわいそう
なんとかしなくてはと
気を揉んでいたけど
要らない気遣いだったんだと
今なら納得です。
だいたい、なんでそんなに愚痴をいったり悪口を言うのでしょう?
・・・気になるから
ですよね。
悪感情であっても
通りすがりの人にそこまでの感情は湧きません。
仲のいい夫婦だったんだってことで
火葬の次の日は両親の遺骨をもって
2人を偲びました。
長男の提案、ナイスです!
ポートタワーセリオンの立ってる先端って
船首みたいだったのね
両親とも男鹿が好きでした。
寒風山の展望台が回っててビックリ!
小学校以来でした。
別荘も好きでした。
納骨前に
愛して止まない孫2人と共にドライブできて良かったね。
でも、こんなとき
「墓に布団は着せられぬ」のことわざも頭を霞める。
言いたいことを言えなくて我慢していても
それで鬱になったとしても
怒鳴られていたとしても
否定され続けていたとしても
別れない。
それって子供がなんとかする必要ってなくて
まして
犠牲になる必要なんて微塵もない。
あ~、あれで、仲がいいんだ。
好きなんだ
幸せなんだ
という見方をしてみるとどうでしょう?
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