昨年お米の値段が高くなり

昨年の新米から倍の値段になりました。


そして農林中金改正法案閣議決定されました。


数年前から日本の食に関して

危機感を持っていたため、

数年前の冬からどうにかしないといけないと

農地付き中古住所を検討したけれど

農業資格がない為に

購入不可と判断されました。


それに伴って

とりあえずお米ルートだけでも

作りたいと思っていましたら

なんと3ルートも出来ました。


1つは保険的なルート。

農協に卸しておらず、その会社の契約顧客のみに販売するという所。

普段は全く別のものを販売しているのですが、お米を欲しい人がいたら売るというシステム。

2年程前に契約済みです。


1つは農家さんから直接買い付けるルート。

田植えの手伝いが欲しいと聞いたので、手伝いにいってからしばらくして、ダメ元で聞いたらOKという事で1年分売るよ!と言ってくれました。

今年もお願いされたので、来年のお米も確保です。


もう1つも農家さんから直接ではあるけれど、棚ぼたルートです。

向こうから、今年1年分何袋取り置きしておく?

と突然言われてのラッキールートですね!

ダブルブッキングになるのを承知でお願いしました。

スーパーで買っている友達や兄にそのまま横流しです。


畑を貸すよ!と

別の農家さんからもお声を頂き、

今月から始める事になりました。。


我が家は2人家族なので

沢山はいらないので

家庭菜園程度でいいのです。


昨年はベランダでプランター栽培で

半分失敗(笑)

半分成功という形で、越冬したネギは今また伸び始めており

ネギに関しては半永久的に

買うことはなくなったといっても

過言ではありません。


種のほとんどが遺伝子組換えがなされている昨今

ベランダで生き延びてくれたネギに感謝です。


これから農協に外資が入ってくると思われるので、海外流出は更に増えると予想しています。

なので、農協を通さないルートや資格が無くても自分で食べる分くらいの野菜は作れる様にしたいものです。


自分を守れるのは自分だけ。


現代社会はとても便利で、自分で作らなくとも何処かで買える。

そういう時代ですが、ちょっと考えればそういう時代になったのはこの70年程です。

縄文時代から1万何千年と自分たちで食料を作ってきた期間を考えれば、70年とはほんの瞬き程度の時間です。


現在の政府の政策をこのまま続けていけば

必ずもっと酷い食料難になると予想が付きます。


40年程振り返って見ただけでも、かなり食料が減っています。

クジラが最たるもので、野草などは本当に好きな人しか食べないと思います。

昔から食されてきたモノは、田舎臭い、貧乏臭いなどと印象操作がなされてきて、添加物たっぷりの食べ物がオシャレで美味しいとされています。


こういう事を子供のうちから教われば、それしか知らないわけですからね。


白米にしても、白いお米は見た目も綺麗ですしインスタ映えもするでしょう。

ですが、1番栄養のある部分を削られて栄養のないものを食べている事になります。


日本人にとって1番不足しているのは、ビタミンでもカルシウムでもありません。

ミネラルです。

ミネラルたっぷりの塩が足りていないのです。

ですが今は逆で、減塩減塩と騒がれているのが現状です。


江戸時代では『塩抜き』という拷問があったそうです。

罪人に塩を与えないというものです。


私達現代社会では減塩という軽い拷問を受けているのと一緒なのです。

そして、体調が悪くなれば病院で点滴である『食塩水』を与えられる。


「生かさず殺さず」の社会になっている。


今の日本は、肥料ビジネスに適した、適合するように農業やガーデニング等をさせられています。


土は耕すと土の中の水分が奪われて、カラカラの土になる。

畝を作って均等に植える為に、土が日光に晒されて土の温度が上がり、更に土がカラカラになる。

肥料を入れた所で、水を撒いたら流れ出る。


逆、真逆をするようにさせられて、ナウシカじゃないけど

「土が汚れている」のです。

そして、土の中の水脈を耕す事で、めちゃくちゃにしてしまう。


畑と雑草が生えている所をみたら、一目瞭然ですね。


水をあげない畑は枯れていくけれど、

雑草はほっといても元気にのびのびしている。


そして、どうやら日本は

「あれ」をしたがっている。

大東亜戦争という言葉は、いつの間にか第二次世界大戦と変わってしまった。


「歴史は繰り返す」と聞くことがあるが、

単に「繰り返している」だけだ。


その前兆が今見え隠れしている。


自分を守るのは自分だけ。

自分を守れたら、身近な人も守れる。


故に、自分の感覚を研ぎ澄まして、準備だけはしておこうと思う。


別に、「あれ」が起きなくても、美味しい野菜やお米が食べられてラッキーというだけだからね。


畑の次は、お肉や魚の仕入れルートを探そうと思います。





私達は支配されている奴隷です。
「はぁ?」
「何を言っているの?」
と思う人が大半だと思う。

「はぁ?」
「何を言っているの?」
という感情や言葉がすっと
出る程に気づきも出来ない程
奴隷という自覚がないのです。

奴隷とは?
とAIに尋ねると

『人間としての権利・自由が認められず、

道具同様に持主の私有物として労働に使役される人間。

「―解放」。

転じて、あるものに心を奪われ、

それにしばりつけられている人。』

だそうです。


「転じて、あるものに心を奪われている人。」

とありますが、「お金」というものに心を奪われていると思う。


お金の為に仕事をして

お金の為に犯罪を犯し

お金の為に命をも…

病院に掛かるにもお金

子供を学校に入れるのもお金

人が生まれて死ぬ迄お金が掛かる。


ただで使えるのは「空気」くらいだろうか?


「転じて、あるものに心を奪われている人。」

もう一つ。

「こうせねば」である。


親や学校、社会のルール、倫理等

代々受け継がれて教えられてきたことである。


誰かが誰かを支配している。

見えない支配者です。


これがいいことです。

と言われると、それを求める事もある。

これがいい行いです。

と言われると、その人物像に近づこうと努力する。


これらは、自分で考えた事ではないのです。


目で見た映像、耳から入る言葉。

それに反射的に反応して、それに心を奪われてしまうのです。


そして、

今現在、自分の周りを眺めて見た時に

「こんなはずじゃあ…」と思う人もいるだろう。

ですが、反射的に反応してそれらを選び今の生活になっているというだけの話ではあるけれど、

変える事は出来る。


「変えたい」と望んだ人だけが変われる。


支配されている部分は変えられないと私は思っている。

何年も、私に至っては50年も

支配される生活に慣れてしまって、抜け出すのに何年もかかったからです。


自分の置かれている状況をキチンと把握して、

ならばこれからどう生きるか?

こう思った時に、出る答えは今までの常識や情報、ルールや倫理の中から考えてしまう。


この考え方自体が、もう支配されている証拠である。


よく聞く、2極化で

「支配の中で今まで通り生きる」

「支配の中で自分の生きたい生き方をする」

この2択なのです。


2択と言いましたが、

自分は違うという方もいるだろう。

どっちでもないと…ね。

ですが、どっちでもないということは、

「支配の中で今までの生き方を続ける。」という事です。


でも、どちらであっても

善悪はないのです。


全ては自分が何を選ぶのか?

それだけなのです。


私自身、こういう真実に

気づきたくなかった。

と思う事もある。

けれど、心が自由になったという歓びは抑えられません。


色々な方が「歌」や「詩」等で

心に響く、心を揺るがす言葉を沢山残している。

気が付くと、それを誰かに気付いて欲しいという願いが込められているように感じます。


ここ近年、言論統制の傾向にある。


昔は大家族で生活するのが普通でした。

1人であっても、近所や周りの人と支え合いながら生きてきた。


今や核家族が進み、自立する為に1人で暮らしを進んでする時代。

どんどん孤立しています。

更に友達すら心を許せないという方々も増えている感じがします。


そして、今は数年前の流行り病で人との交流すら難しい状態になっています。


孤独になっている人が多いのです。


そこに、手を差し伸ばす機関があります。

条件付きでね。


例えば、年金等でしょうか?

年金をもらう為に、条件がいっぱいあります。

そして、金額を考えた時に不安や恐怖を感じる。


孤立すると、この条件に囚われて、周りに聞く事や相談する事が出来にくくする。


そして、

言論統制で自分で調べたいと思っても

消されている情報も多いので、

一方的な情報しか出てこないという事もある。

本屋は数を減らし、最新のおすすめが先に出てきて、

昔からの本などは、手に入りにくくなっています。


おばあちゃんの知恵袋などは

もう埋もれつつあります。

この「おばあちゃんの知恵袋」とは

比喩であり、先人から受け継いできた知恵、情報などという事です。


これらを、世界を1つにしたい。

とい考えている輩が、新しい常識や倫理、考え方に変えたいという気の長い時間をかけて、変えようとしている事の1つです。


私達は様々な恐怖を植え付けられて

いうことを聞くようにされているのです。

いうことを聞かないと、刑罰などとね。

更に、人からどう見られるか?という恐怖も同じです。

故に、人が人を監視する。


人のことより、自分を大事にしなければいけないのに、

そう植え付けられてしまっているのです。


私達はの今置かれている状況とは、

「デストピア」に向かっている。

という事です。


選択は自由なのです。


懸念は憲法9条でしょうか?

人権がなくなったら、デストピアへ加速していくでしょう。


夢物語や陰謀論と嘲笑するも一興。


自分はどう生きたいか?

その選択を自分でするだけなのです。


大きな嘘や真実


こういうモノは

信じがたく呑み込む事が

困難な場合がある。


更に

毎日の生活が忙しく

考える事すらしない傾向がある。


例えば

友達や身近な人が嘘を言えば

なんとなく気が付くと思う。


けれど政府が嘘を言っても

教科書に嘘が書いてあっても

医者が嘘を言っても

信じがたいと思ってしまう。


まさか政府が!国が?

とか思う方がいる。


更に自然を人口的に動かす。

例えば地震や台風など

などと言えば、更に信じがたく思うだろう。


人口を減らそうと様々な形で

人々を困窮へ追いやっている。


こういう事を言うと

都市伝説とか陰謀論とか

言われてしまう。


けれど

国際フォーラムで決まっていたり

内閣府、文部科学省の

ホームページ等に書いてある。

故に憲法も改正したいのだと。


567にしてもそう。

厚生労働省のホームページに

「風邪の一種」と記載がある。

口に充てる布も

「有用では無い」とも記載がある。


製薬会社のホームページを見た時

当時はトップページに

2023年春治験終了って書いていた。


つまりそれまでに打った人は

お金を払って治験者になったという事です。


政府は安全です。

何かあれば保証します。

と言っていたけれど

安全すらまだ確認出来ていなかった。

という事です。


こういう嘘を

多くの人が信じていました。

違うよ!

と言う人に対して

陰謀論者とか非国民とか

罵声を浴びせていました。


調べれば

簡単にわかるけれど

興味や気が付かなければ

そもそも調べる事をしようとしない。


ずっと騙され続け

嘘の世界が本当だと信じて

そうやって生きていくのも一興。


私はたまに

知らなければ良かった。

と思う時がある。

けれど、知った事で

私には選択するという事が出来る。


知らなければ

嘘の世界だけ。

知った事で

真実の世界と嘘の世界から

選ぶ事が出来る。


様々な歴史をみてみると

色々見えてくる。

家族の歴史

学校の歴史

病気の歴史

食べ物の歴史

細かくいつ何があったか

誰が何をしたか

そういう事は分からずとも

大きな流れを見るだけで

アハ体験のように

真実が見えてくる。


こういう事に気が付かれたく無いので

刑罰や罰金等で国民を

恐怖で縛りつけている。


地球には何処にも「線」なんか無い。

ところが

地図には「線」があって

勝手にここから◯◯国と決めている。


鳥や虫、動物は

国境を越えても咎められない。

けれど

人間だけは自由に生き来が出来ない。


誰がこんなの決めたの?

少なくとも

私はこういう事を決める時

賛成していない。


生まれたら勝手に決められていて

決まっているから従いなさい。

と生まれた瞬間から

強制的にルールを教えられ

大人になった納税義務を強いられる。


生まれたら洗礼を受ける

「何か」と同じルールです。


すぐ隣に

別の世界がある。

現在の世界は全体のたったの1%だ。

1%もあるだろうか?

0.001%くらいだろうか?

本当に狭い狭い「恐怖」の世界。


残りは「完全な自由」。

「歓び」や「素敵」な世界だ。


ここに気が付くと

どちらであっても自由に選べる。


気が付かない人は

狭い世界しか知らないので

何かが変だと思っても

知らないまま狭い恐怖の世界を

生きるしかない。


すぐ隣に

あるのに

ずーっと恐怖に支配されてたから

いきなり自由を知ったとて

どうして良いのか

戸惑う時もある。


その反面

どんどん人と話が合わなくなり

私は恐怖の世界から

どんどん離れていると感じる。


だけど

子供の頃から教育された

恐怖の世界に

逆戻りする時もある。


こうやって揺れ動く事も

どちらの世界も知っているから。


でも

非二元的に言えば

「ただそうである」なだけの話。


嘘を信じようが信じまいが

その人が選択する事を

私が干渉する事もしない。


どちらであっても

ハッキリしているのは

世界が分かれてきている。

という事です。


人権の無い世界にしたいと思う人がいて

そちらに流されて行く人と

そっちに行くのが嫌だと

ハッキリNOという人と

分かれているのです。


今、この分岐点に

どちらに行くのも

自分で選択しているということ。

流される事も自分で選択している。


自由なのです。


良いとか悪いとか

そういう話ではありません。


ただ、分かれてきてるね。

っていう話なだけです。


自分はどうしたいのか?

選択肢が多いほうが

面白く生きて行けると

私は思う

と思っているだけの話です。




 

 本日の活動トピックス

 

今日は建国記念日 らしい。


そんな事は

教わっていないし

ただカレンダーに

そう書いてあるだけ。キョロキョロ


それだけです。


記念日だから〜

祝日だから〜

何か特別である

理由にはならないです。


私は

いつものように

自分を幸せにする

選択をするだけ。照れ



私達は『逆』の生き方を教わっている。
型にハマる生き方をしなさい!
その様に、子供の頃から親、先生、周りの大人達から知らず知らず教え込まれて本来は『自由』だということを忘れてしまっています。

✻単純な例えで
生まれた時には既に
父親、母親がいて兄弟がいる。
生まれた自分は末っ子だった。

この様な場合、父親が1番偉くて、次が母親、その次が兄で、最後が自分。

こういう図式を思い浮かべる人は多いと思う。
生まれた瞬間からもう既に、ピラミッド型の生き方を強要されているという事でもあります。

親が本人の意思確認をしないで、名前を付け、役所へ出産届をだし日本へ住民登録をする。
これで、生まれた時から将来、税を支払う義務を強要されてしまっている。
それと、日本では少ないと思いますが、宗教にも強制的に入信させられるということもある。

本人の意思を無視したシステムになっているのです。
なので、政治家や教祖などにいくら「もっと暮らしを楽になるよう考えて欲しい!」と訴えた所で、無視をする仕組みになっているのです。
ずっと無視をすると、暴動等を起こされるので時々『飴』を与えてくるのです。
「政治家は教祖はちゃんとあなた達の事を考えてますよ!」というパフォーマンスでもある。
でも実際は『支配構造』になっていて、【私達は生まれた時から支配されている。】という事です。

支配を簡単に出来る様に、『支配される』教育を受けさせられます。
学校という機関でです。
チャイムで時間で動く様に、テストで人に優劣をつける様に、運動会やコンクール等は人と争う様に、そして、先生という絶対的な存在に従うという風にです。

これらに反発した人を
「不登校」「不良」「落ちこぼれ」「負け犬」「問題児」等と括りを設けて、こういう風な生徒になったら【世間から取り残されます】と恐怖を抱かせて、人の心に罪悪感や劣等感等を植え付けます。
落ちこぼれないように、親から愛されるために等の理由に縛られて、無理して頑張るんだ。
子供一人一人の事を最初から「無視」しているシステムの中で、いくら『子供一人一人の個性を!』とかスローガンを掲げても土台無理な話である。

私達は本来『自由』なのです。

どのくらい自由かと言うと
例えば
学校の先生が
X+3=5の方程式を解きなさい。
という問題を出したとします。
大抵は従って計算して答えを出すでしょう。

自由とは
誤解を受けられると大変ですので、自分勝手やワガママとは違います。

本当に自由であれば、学校の先生が方程式を出した時、その学校には本気で学びたいと思っている人だけが集まっていて、その出された方程式に真剣に取り組むでしょう。
学びに興味の無い人はそもそも学校へは来ないという事です。

学びたいと学は必要なしと考える人がその考えを尊重されて、お互いに刺激を受けながら学んでいく。
1つの方程式さえ楽しくて仕方がないという感じでしょう。
数学だけを学びたい
古典だけを学びたい
先生も自分が好きな分野の音楽を教えたい
化学を教えたい

本気で教えたい人と本気で教わりたい人が出会ったら、物凄く凄い事が起きそうな気がしませんか?

これが自由です。

そう、私達は不自由が最良であり、幸せになる事だと『逆』を教わっているのです。

代々昔から親から子へ、子から孫へと受け継がれて、これが当たり前であり、当たり前とも思わない程に染み込んだ『不自由の檻』です。

アインシュタインが愛の法則『E=mc²』を愛娘に贈った方程式。これは本当の自由を知ったとき、愛に溢れている。とアインシュタインは気がついたのだと思います。
愛しかないのです。
男女の愛や親子の愛等ではありません。
エクスタシーですかね。
天を貫く程の歓び。
表現が難しいですね。

私達は『愛』に囲まれていながら、それに気が付かず、自分で不自由な檻を作り出し、その中に閉じこもって「自由だ!」と叫んでいる「井のなかの蛙」状態なのです。

『逆』なのでは?
と疑う事をしてみても良いかもしれません。


 

「ただ、そうである」

という話を書こうと思ったときに

結構前のお話で

この記事を思い出しました。

 

以前、「幽体離脱?」という記事を書いたことがあります。

この頃は本当にふざけた文章を書いていたと思います(笑)

 

 

今振り返ると

死ぬときってあの時のように

スルッと気が付かないうちに体から

出ちゃうんだと思う。

 

記事ではちょっと興奮気味に書いていたけど

本当に気持ちよかったとしか言えないんです。

 

ある方には「それって臨死体験じゃないの?」

「死んでたんじゃない?」と言われたんです。

その理由は、死ぬときに幻覚を見るらしく気持ちよくなるのだそうです。

 

しかし、私は死んではいないんです。

直前までトラックを運転していて

どこか痛かった訳でもないし

気を失った訳でもないし

体調が悪かった訳でもなかったのです。

 

ただ、深夜の2時頃に道の駅に到着して

安堵して少し眠気を感じて背もたれに寄りかかっただけなのです。

 

で、背もたれに寄りかかる時の衝撃がなくて

「あれ?」となり目を開けたら

抜けていたというだけなのです。

 

あの時の事が忘れられなくて

いつも思い出してはもう一回抜けたいな~と思っているのです。

 

寒さや暑さを感じる事がなくて

体の重さも痛みも何も感じなくて

ただただふわふわ?としているんです。

私は当時腰痛と肩こりが酷かったので

その痛みから解放されそれがとても心地よかったのです。

「気持ちよかった」と書いたのは

こういう事があっての「気持ちよかった」なのです。

 

ゆえに

「人間の身体とは難儀なものだ」と感じたのです。

きっと死ぬときは

こういう風に気が付かないうちに

スルッと抜け出して重さや気温などから解放されるのだと思います。

というかですね

地球の人間という身体で生活をするという体験を

したかっただけなのだと思います。

 

この身体で何ができるのか?

何ができないのか?

どういう思考をして、どんな現実を作るのか?

そういう事をしているだけ。

 

映画監督のように

椅子に座って眺めているような感じ。

 

そして、この幽体離脱の前に

スピリチュアルで言われている

ワンネス体験とか神秘体験というものをしています。

 

あるとてもお天気のいい日に

ぼ~っと空を眺めたり、

向いの家の人がベランダで洗濯物を干している光景を眺めていた時なんです。

 

突然全てが白くブワッと

この部分がどうしても表現できないのです。

全てが一つになったというか

全てが一つだったと気が付き

本物の自由に気が付いた。

この世の真実というか真理というか

その一片に触れたという事です。

 

ジグソーパズルでいうなら

この世全てが1000ピースであるならば

私が体験したことは1ピースにも満たない。

けれども

今まで私が教わったこと、信じていた事など

全て「逆」だったと気が付いた瞬間でもあります。

たったこれだけの体験で

この人間という生き物が本来どういうものであるのかが

上手く説明できないけれども理解ができた。

そういう体験でもあります。

 

そのあとに

非二元で言う「自己の不在」にも気が付き

私なんていないじゃん(笑)となったのです。

 

最近では

もう非二元やワンネスなどは

どうでもよくなっているのです。

 

YouTubeやブログ、SNS等で見ると

一貫して筋を通して真実を言っている人もいますが

9割位の方は半分半分の五分五分。

結局はビジネスにしたいから

どうしてもそうなるのだろうと思うのだけど

それはそれで仕方がないかな?と思っています。

ですが、全く訳の分からん事をもっともらしく言う人もいるから

びっくりする時があります。

そして、不安や恐怖等を煽るような事をいいます。

そしてからの、こうなります。という希望を述べます。

 

こうですから

こういう考え方もありますよ。

このようにすることも出来ますよ。

という提案をする所が少ないという事です。

言いっぱなしの所が多いという事です。

そしてよ~くよく聞けば矛盾が生じています。

 

だからダメだという事はないのです。

私はこういう発信をしている方の所に行って

ダウトを探せ!みたいなことをして楽しんではいます。

楽しませてくれてありがとうとう!と感謝をしております。

 

この世は全て繋がっていて

良いことも悪いこともバランスよくなっているのです。

全てが同じ考えという事自体がおかしいことなのです。

この人にとっては悪い事であっても

あの人にとっては良い事なのです。

どっちが良いとか悪いとかそれを決めるのは

単に人間のエゴになります。

 

もっと俯瞰して俯瞰の俯瞰をすると

面白いものが見えてくるんです。

 

なにか取り留めもない話になりましたが

何が言いたいかというと

色々と体験談等を書きましたが

どんな体験をしていようと「ただ、そうである」という事です。

 

人間のデフォルト機能である五感、感覚等の六感などを使って

この現実世界をとらえていると思います。

が、映画や幻、幻想とか仮想世界のようなものなのです。

 

ただ「そうなんだ~」なのです。

そこに意味はないのです。

意味をつけて、物差しで測り、善悪を決めるというのは

人間の「脳」をいう機能を使って遊んでいるだけにすぎません。

本来は「それだけ」なのです。

 

本当に面白い世界なのです。

遊園地のような、テーマパークのようなそんな世界で

私はずっとお化け屋敷やジェットコースターをチョイスしていました。

これからは観覧車でゆったりとか芝生でランチという

緩やかなものをチョイスしていきます。

 

いろんな乗り物がある中で

どれが良いとか悪いとか無いのと同じで

人や物事にも善悪は無いのです。

 

ただ、それだけの事なのです。

 

そして

本当の自分というか

何者であるのかに気が付いた時に

もっともっとこの世界が楽しくなると思います。

実際に私は楽しんでおります。

たまに失敗もしますけど、それすらも楽しいですね。

 

この人間のデフォルト機能である

感情や感覚、脳で考える等を含めて

この幻想世界の中にはなんでもあります。

必要なものがすべて完璧に揃っているのです。

良い事も悪い事もです。

それ故に

「感謝」と「尊重」をもって接しております。

時には腹も立ちますが

腹を立てる経験をさせてくれて「ありがとう」という事もあります。

その腹に立つ出来事が、自分のしたかった事への

一つのアプローチになる場合もあるからです。

 

本当に面白いのです。

こうやって私は一人で面白可笑しく

毎日を送っています。

 

この手の話は尽きる事がないので

もう終わりにします。

 

もし読んでくださった方がおりましたら

ありがとうござます!

 

あなたが知らない

あなたの話


自己の不在


ラジオの周波数とラジオ本体



目標を達成したら

幸せになれるんじゃない。

目標に向かっている途中も

全部幸せになっちまうんだ。




職場の話。

一昨年怪我をして
仕事を続ける事が困難になり
退職をして
今は怪我をした肩に負担の無い
仕事をしている。

かなり変則的で
週1だったり
週6だったり
正月休みが2週間とか
時間も3時間だったり
5時間だったりバラバラ。
それはそれで
体や心に負担が少なく
今はこの仕事が気に入っている。

この仕事は深夜の屋外での作業。
夏は快適でしたが
冬が気になっていました。
なので、夏から冬になったら
カイロを使わずに
どの様にすれば
暖かく仕事が出来るか!
を課題に色々調べたりしていた。

そして
面白い事に
今、マイナス8℃の所で
暖かく仕事が出来ている。
そう、実現出来ている。
カイロなしでね。

実現する為に
色々調べたり、お店に行ったり、
情報を交換したり
色々動いていました。

もし
動かなければ
「寒い寒い」と文句を言って
体を壊したりしたかもしれない。
後は、辞めるか、冬季間休業にしたかもしれない。

自分の小さな声を逃さず
耳や目に入る情報を逃さず
素直に実行していけば
それが叶う。

毎回違った形なのですが
「ここは南国か!」
と思うほど暖かい場所で作業したり

気温がマイナスにならないと
肌着だけで暑くなったり
「暑い暑い」と腕まくりして体温調整をしたり

自分の車の中で作業をする時もある。
エンジンをかければ
エアコンが使えるので
暖かいのは当然。

キリッとした深夜の冷気は
とても好きなので
ずっと外で作業する時もある。

雪あかりで辺りがうっすらと
白んで見える。
雪が音を吸収してとてもとても静か。
そんな静寂の中です〜っと視線を上げると
寒さで澄んだ夜空に星が瞬いて
冷気が頬を撫でる。
口から白い息が漏れると生きているのだと実感出来る。

ある時は暗闇の静寂から
白い雪がゆっくり音もなく
舞い降りてくる。
雪の匂い、冬の匂いが好き。

冬の深夜にしか体験出来ないこの静寂が大好きなのです。

完全装備+α故の成せる事。
この美しい夜と共に仕事をする事が出来る。

たまに
「お仕事大変ですね〜寒いでしょう?」等と声をかけられる。
けれど、楽しんで暖かく仕事をしている。

自分の物差しで物事を計り
そうだと決めつけて
「お仕事大変ですね〜寒いでしょう?」
等という言葉が出る。

まぁ大半の人が
自分の物差し
社会の物差し
会社の物差し
友達の物差し
色んな物差しを持っていて
この物差しを使って
善悪や上下を決める。
この物差しを使う事が
当たり前で美徳で社会的ルールだ
と思って生活をしている。
私を含めて
そういう教育を小さい頃から受けているので当然になっている。

私は途中で「逆である」と気がついただけの話。

誰がどう思おうが
どう捉えどう感じようが
私は冬を楽しみ、気に入ってやっている。

他の人からみたら
超厳しい仕事をしている様に見えると思う。
同じ仕事をしている同僚でさえ
文句や愚痴を言っていますからね。

ヒールを履いてスーツを着て、
人を相手にする仕事はもうやりたくない。
そう思った時に
私の前に今の仕事の情報が
パッと現れて、それを掴んだだけの話。

職場迄の時間も
家から遠い所が良いと思った。
往復約2時間弱。
ドライブ好きな私にとって
行き帰りがドライブになる。

ドライブして
3〜5時間季節を感じ
コーヒーを飲みながら仕事し、
ドライブして帰る。

私にとっては最高のお仕事。
自分以外の人には最悪かもしれない。

最近
「自分の好き、得意を仕事に」
というフレーズを聞いた事がある。
今の自分の現状を変えたい人にとってはとても魅力的に映る。

これってとても良いように聞こえるが、
じゃあ「自分の好き、得意な事って何?」と
探し始める人が居る。
なんだろう?って悩んで
結局は今の現状に留まる人が居る。

新たに探す必要等なくて
今、出来ている事が
好きであり得意であり
興味がある事なのです。

新たに事業を興すのも良いけれども、
もうあるシステムや会社を利用する事も一理なのです。

心の奥底から願った時に
情報がやってきます。
人から教えられたり、PCで出てきたり、様々な形で。
わらしべ長者と同じです。
それを掴むか掴まないかは
自分の選択なのです。

最初に藁を掴むか、掴まないか
それだけの話。

私は今の仕事という藁を掴んで、今ここにいる。
この世の仕組みは、本当に単純で
ただただ素直に自分の望む方へ行くだけでいい。

考えると様々な思考が自己防衛を図るために
悩んだり留まったりしてしまう。

この世は「面白い」で溢れています。
良いことも悪い事も含め
遊び甲斐があるのです。

それを
社会人だから
嫁だから
いい大人なんだから
やりたいけど妻が子供が親が
等と遊ぶ事にブレーキをかける。

勿体ないと私は思ってしまうのです。

自分の世界は自分で創る。
この自分の世界を創る遊びをすればいいだけなのです。


ただの独り言です。





「ありがとう」

を言い続ければ

人生が好転していく。


という事を聞いた事がある。


どういう内容かは知らないけれど

ただ

そういう事を聞いた。


私も1つ

少し感謝について

書いてみようと思います。


私が思う感謝は

「自分に対して感謝が出来れば、

全てに感謝が出来る」という事。


自分に感謝出来なければ

全てに感謝は出来ないと

そう思っています。


自分に対してというのも

一般的な解釈とは少し違うかもしれません。


私が言う「自分」とは

自分という肉体を形成している

細胞や組織、菌や微生物等全てを表します。


医学的な知識が無いので

多分こういうものだろう!

という憶測から細胞や菌等と書いています。


自分とは

表現が難しいのですが

「ここに存在しているという認識」

「ここにいるという意識」

「いる」「ある」「存在」等です。


肉体は細胞や菌、血液や骨等が集まって出来たもの。

居るという認識と細胞等が集まって出来たのが

「自分」という肉体です。


今、ここに

存在出来ているのは

それらが集まって肉体を形成している

つまり

菌や細胞1つ1つにも意識があるという事です。


それらが集合意識で自分という

肉体を作り出しているという事です。


ちょっと大袈裟に言うと

1つの宇宙という事になります。


自分がどうやって腕を動かしているか

どうやって喋っているか

どうやって血液を流しているか

どうやって心臓を動かしているか

どうやって空気を吸っているか

何一つ分かっていることはないと思う。


やろうと意識してやっていないのです。


体が自然に動いて

食べたり、髪を梳かしたり

くしゃみや瞬きをするのです。


組織や細胞達がいてくれる

故に

様々な体験をする事が出来るのです。


それはそれは

とてもありがたい事です。


まさに「自分に感謝」なのです。


箸を持ってご飯をいただく。

指が動き、咀嚼し、飲み込む。

これだけでも、たくさんの体の組織が動きます。


ご飯を食べるという

集合意識で様々な機関が動き

美味しいとか不味いとか思えるのです。


美味しいとか不味いとか

思う思考すら

自分で思おうとしていないのです。


自然に思考が湧き上がって

自然に美味しいとか不味いと

思うのです。


そして

ご飯を食べるという事は

お茶碗やお皿、箸がある。

ご飯を食べる為のテーブルや椅子もある。

更に

テーブルを置く為の家やお店がある。

それらを造った人が居る。

その材料になった木や砂、鉱石がある。

それらを加工する機材や炎等がある。

運ぶ人や車があり、栽培した人も居る。

肥料になった雑草や微生物。

調理する技術を教えてくれた人や調理器具。

もっともっと沢山あるでしょう。


ご飯を食べるという行為1つで

これだけの人やものが動くのです。


これだけでも

全てに感謝出来ます。


そうなのです。

全て繋がっているのです。


何かをしようとした時

様々なものが動きます。

そして、何かが出来るのです。


良いことも悪い事もです。


そして

何かが出来るという事は

感謝以外にないという事です。


その何かを自分の体が受け止めて

感じたり、行ったり、思考したりしてくれる。

自分に感謝出来れば

全てに感謝出来るのです。


私は

本当の意味での感謝は

こういうものだと思うのです。


八百万の神々等聞きますが

万物に神が宿っている訳ではなくて

万物に意識があるが故に

それらを尊重し感謝をもって

生きていた。

そういう事だと思うのです。


今は忙しすぎて

そういう事を意識して感じる時間すら取ることが難しくなっています。

ですが、私達の奥底にはちゃんと息づいています。


それらを思い出すだけでも

私はいいと思います。


そういう時間を設けるだけで

好転していくと私は思うのです。


私が思う

感謝について

書いてみました。

ありがとうございました。



疲労回復にはこれがいい


疲労回復というワードを見て

ちょっと書いてみよう。


自分が何者で

逆を教えられていると

気づけば

一気に元気になれる。




 

 

 

 

 

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