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言葉とは
やはり限界がある
百聞は一見に如かず
こういう言葉があるように
ひとつの絵に勝るものはない
その絵も
制度が上がったり
3Dとかバーチャルになったら
もっともっとだろう
右脳左脳で有名な
ネドじゅんさんの上げた動画
「ワンネスを図解してみた」
これは独り言
クレームは受け付けない
悟りを開く為に
修行する
悟りを開く為に
瞑想する
悟りを開く為に
座禅する
悟りを開く為に
山にこもる
悟りを開く為に
今は「解放」と言うのかな?
あとはどんなのがあるだろう?
知らんけど
そんなん
しなくても
家で出来る
ってか
最初からもれなく全員
そうなんだ
ただ、気付いているか、
気付いていないかの
違いだ
気付いたところで
何が変わるって事も無いけど
でもって
悟りを開く、解放の方法
というか
気付く方法
というか
本来そんなのないけど
これらの共通点
目を閉じる
静かにリラックス出来る環境
この2点だろうか?
静かにリラックス出来る環境は
何処にでもある
玄関先のベンチ
自室のベット
トイレもお風呂も
ビルの屋上や公園の木陰
自分が静かにボーッと
出来る所なら
何処でもいい
目を閉じる
これもいい
視覚からの情報量は
破壊的なので
目を閉じてる方が
圧倒的に情報量が少ない
目を閉じたら
真っ暗で何も見えないと
勘違いしてる人が多いように思う
が、
その暗闇を見ている
という事に
どのくらいの方が
気が付いているんだろう?
海さんはわからない
海さんは
お布団に潜って
目の上にタオルをのせる
あと
台所でコーヒーを入れる
少しの時間
空(くう)を眺める
ベランダから庭木を
ボーッと眺める
そんなことしてた(笑)
毎日とかしてない
たま~に思い出した時だけ
精神統一とか
単にストレスになるだけだし
座禅なんて
身体が強ばるし
山なんて虫とか獣が怖いし
悟りを開くとかって
結局は悟りが無いと
気付くだけ
突然
理解が起きて
理解するんだ
頭での理解と
違う理解
その過程で
不思議体験をする事がある
けど、
それは単なる経験だ
悟りでも何でもない
そういう体験をしただけだ
でも、
雑踏の中で辺りを
見回すってのも
いいかもしれない
ひとが歩き
誰かを待ち
おしゃべりが聞こえ
手を繋ぐ親子
車が走り
空が見え
そんな賑やかな場所で
辺りを見る
結局は
何がきっかけになるか
わからないから
方法なんて無い
ある人が
「あの空海でさえ悟れなかった」
ということ話をしたことがある
( ̄▽ ̄;)
特に突っ込みは
入れなかったけど
空海が悟れたのか
どうだったのか
どんな人物か
海さんは知らない
確か空海って仏教関連だよね?
高野山の奥の方で今も生きてるとか?
違うかもしれないけど
どっちでもいい( ̄▽ ̄;)
悟りが無いと
気が付いて
神も仏もいない
な~んて言ったら
とんでもない事になっただろう
故に
隠したか、隠されたか
気付けなかったか
これらのどれか
だろう
憶測だけどね
空海が悟ったとか
そんな話はどうでもいい事なんだ
海さんの現実に
空海は居ないから
こういうところが
引っかけなんだよね
障害物競走みたいな(笑)
気づきは
何がきっかけになるか
わからない
タイミングも人それぞれ
執着し固執すると
どんどん遠ざかる
そーなんだぁ
程度が近道?
近道は比喩で
早いというか
ストレートというか
表現が難しい
悟った、気づいたところで
病気が治る訳でもない
幸せになれる訳でもない
今の辛さや苦しさから
一気に解放されるわけでもない
キラキラの救世主が舞い降りて
何処か苦痛の無い世界に
連れていってくれる訳でもない
ただ、「そうなんだよ」
ってだけだ
傾向として気楽ではあるけどね
それだけの
シンプル
少し前に
幸せの事を書いた
くどくど長くて
笑っちゃう(笑)
なんて事はない
ずーっと最初から
幸せの中にいるんだ
幸せなのに
幸せじゃないと
勘違いしているだけ
だから
こーなれば
あーなれば
あれがあれば
これがあれば
と
探してしまう
そして自分で自分を
苦しめている
存在しているだけで
ただいるだけで
もう
幸せなんだ
少しだけ目を閉じて
一回だけ深く深呼吸して
ボーッとしてみると
感じる
ずーっと
幸せの中にいたとわかる
だって
幸せじゃない状態の方が
異常なんだ
そうそうあることじゃない
幸せじゃないと
思っているから
つまらない
暇
くだらない
とか
考えちゃう
実は暇してる
場合じゃなかったんだ
この
無限にあるおもちゃで
遊ばないのは
勿体ない
1つのおもちゃで
って決まりもない
遊んでみなきゃ
好きか嫌いかわからんしね
幸せの中にいたと
みんなが気が付いたら
笑いが絶えないんだろうな~
なんて考えちゃう
悩むことも
イライラすることも
幸せな故の事
今、海さんの前に
人がいる
感謝極まりないんだ
故に
傷つけたり
争ったり
貶めたり
そもそも
こういう事は
起きようがなかった事だ
あーなるほど
イヴにリンゴを与えた
蛇か(笑)
これは
別の意味で面白い(笑)
単純な話だったんだ
凄く気付きにくい
イリュージョンだ
目でバナナを見て
黄色で何本も房になっている
皮を向くとクリーム色
甘くて美味しい
バナナである
と認識して
バナナだと確信する
疑うようもない位
バナナだ
というのが
数年前迄の海さんだ
今の海さんには
それはバナナではない
幸せな贈り物だ
感謝だと
そうだとわかる
酷いイタズラちゃんがいたんだね
面白い(笑)
常に幸せの中にいる
歓び、愛、赦し、慈愛、感謝
本当は
呼び方も無いんだけどね
分かりやすく
↑の表現になる
最初が何処か分からないけど
ずーっとずーっと
幸せの中に
今もいる
壮絶スペクタクルだ
凄いの一言だ
そして今回も
簡単に書こうと
試みて長くなった(笑)
面白い(笑)
面白い質問で
つい笑ってしまった(笑)
どちらであっても
「いる」と確信している
だから
こういう質問が出るんだよねw
光や風、電気や電波
音や振動
神や仏
気や空気
感情や思考
等々
それらは「ある」と信じている
科学的とか非科学的とか
そういう理由で区分をし
存在を否定したいだけ
綺麗なものや大事なものは
あって当たり前
怖いものや恐ろしいものは
信じたくない
ってね
だけど
信じるも
信じないも
あなた次第!
そして
いないものを
「いる」と信じている
そういう人が多いように思う
特に殿堂入りベストセラーとして
何百年も君臨している小説とかね
面白い(笑)
海さんの答えは
どっちでもいいんじゃね?
って感じです
子供などいない
こう言うと怒られるだろう
子供ではなく
1人の1個人
先に生れたか
遅く生まれたか
それだけの違いだ
大人もいない
大臣もいない
先生も彼氏も友人もいない
老人もニートもいない
誰かが決めた事が
当たり前になり
普通になり
意識する事すらなくなるほど
長く長く続いてきた事だ
親と子という関係は
とても素晴らしい
けれど
親は子を
子供として扱い
親の権限を行使する
子は親に従うものと
子は刷り込まれる
死ぬまで
親子の関係は続き
死ぬまで
親は子を支配する
親でも子でも無ければ
お互いを尊重し
干渉せず
気持ちよく
感謝をして過ごせる
こういう事を忘れてしまう程
子は親の言う事を聞くもの
子は先生の言う事聞くもの
子は大人の言う事を聞くもの
子は世間の言う事を聞くもの
大人は子を導き
親は子を守り
先生は子を教育し
世間は子に常識を強要する
一見
子供達の為
子供は国の宝
ある程度レールを引いて
間違わないように
正しい方へ導く
等と
素晴らしい言葉を並べるが
単に
子をどんどん縛り付けている
だけに過ぎない
誰にとって
間違わないようになのか
誰にとって
正しい方へなのか
誰にとっての
宝なのか
子供一人一人
全てが違うんだ
それを平均点とか
通信簿とかで枠を作り
閉じ込めてしまうんだ
閉じ込められた子供たちは
安全地帯に居ると勘違いをして
ホッとるす
そして、いつこの安全地帯から
はみ出るか恐怖するんだ
枠にハマらなか子も
どうにか枠に入ろうと
無理に頑張って我慢して
自分を傷つける
こういう縛りが
当たり前で普通で
考える事すら出来ないほど
無意識になっているんだ
この縛り
例えば
子供が砂場で遊ぼうとしたら
砂場を猫がトイレ代わりにしているから
不衛生、汚いと
大人が遊ぼうとする子供を止める
汚いし、ばっちいから
ここで遊んではいけません
向こうで別の遊びをしましょう
と
こうやって
少しづつ少しづつ
子から興味や好奇心を
奪っている
子にひとつづつ
見えない鎖をはめていく
小さな事から
少しづつ少しづつ
絶えず言い聞かせて
少しづつ鎖を増やしていく
こういう事が
もう普通で
考える事すらしない程
無意識に当たり前に
やっている
みんながやっているから
代々そうだから
この地域はこうだから
それが当たり前じゃん
ってね
疑う事なく
受け継がれてしまっている
互いを認め
尊重し、干渉せずに
感謝をしていれば
争いなどおきないんだ
ルールや常識が無ければ
人々は勝手に行動して
犯罪が起きる
そういう人はいる
逆なんだ
そんなものがなければ
もっと自由に円滑に
余裕に行動出来る
縛られているから
辛くて、苦しくて
抵抗するから
人を妬み、
イジメてすっきりしたり
人より優れていると思いたかったり
良い人になろうとしたり
そんな事をして
ますます
自分を苦しめて
心が疲れてしまうんだ
本当は自由
何にも縛られていない
人の目が怖い
と思う人は
自分が何かを気にしているからだ
気にしている事は
自分の脳内で作り上げた
物語
自分とは
こういう人間だと
自分で自分の物語を作り
人は自分をこう思っている
こう考えるだろう
という
物語を作っているだけに過ぎない
人は自分をこう思うだろう
と思った時
自分は自分をこう思っているのだ
実際人は
なんとも思っていない
実際に言ってい来る人は
自分がそう思っているから
言ってもいいよ
と了承しているからだ
ちと
難しいけど
そうなんだ
怒られそうだけど
敢えて言う
自分でそういう世界を
物語を作っているからだ
それには
考えすらしなくなったことが
積み重なって
悪い方へ悪い方へと
考えが行ってしまって
そういう現実を創り出している
悪い方へ思考が行くように
世の中なっているからだ
敏感な人は特に
それが酷くなるように思う
本当は
超超自由なんだよ
って話
人と挨拶をしたら
挨拶できたことへの感謝とか
歓びとか嬉しさ
暖かさとか感じる
この人嫌だなとか
この人楽しいなとか
ちと苦手とか
もっと一緒にいたいとか
何かを感じると思う
それだけでも
勉強であり
貴重な体験であり
素晴らしい事なんだ
そして
これらの事は
今だけの今しかない
貴重で大切なもの
余計なものはいらない
シンプルなんだ
たった
これだけ
これだけなんだ
故に
ブレーキを踏むことなく
ブレーキを踏ませることなく
アクセルべた踏みで
自分の思い描く方向へ
物語を創りたいものです
これだけ
以上
これだけ
循環の中で
鳥が空を飛ぶのが
デフォルトで
魚は水の中で泳ぐのが
デフォルトで
風は吹いているのが
デフォルトで
水が流れるのも
デフォルトで
人間は考えるのが
デフォルトで
ただ
それだけ
石がそこにあるように
人間もそこにある
それだけ
ひとつ