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鳥取城は、戦国時代から近世、さらに幕末までの築城技術が一つの
城地に残る城跡であり、「城郭の博物館」とも言われてます。

三ノ丸跡(現 鳥取西高等学校)


三ノ丸跡
江戸時代前期、城の中心(本丸)は現二ノ丸にあり、現三ノ丸は「二ノ丸」と呼ばれ、隠居した藩主の居所が置かれていました。
その後、3代藩主・池田吉泰(よしやす)は、享保元(1716)年から3年をかけ、三ノ丸の造成を行ない、自らの居所(御殿)を置き、本丸としました。
直後の享保5(1720)年の石黒大火で焼失しますが、後に復興し、城の中心として発展。
弘化3(1846)年、二ノ丸に御殿が再興されると、藩主の居所は一時期、二ノ丸へ移りますが、すぐに戻っています。
三ノ丸は、万延元(1860)年の拡張で最終形態となりました。 -案内板より

二ノ丸石垣と菱櫓石垣(右奥)

一旦、南に向かうと、

段々状に幾重かの古い石垣が残ってました。

天球丸の巻石垣を見に行きます。



巻石垣
江戸時代後期に、石垣のたわみを防ぐために球面を持つ巻石垣によって
石垣下部が補強されました。こうした巻石垣は港や河川の工事に用いら
れるのが主で、城郭の補強に用いられるのは、きわめて珍しい例です。

天球丸石垣(復元)


偶然居合わせた地元?の方に巻石垣の説明をして頂きました。
ありがとうございました。

曰く、地下水の流れとなっており、石垣がたわみやすいので、
このような巻石垣で補強した。技術力がないと組めない。などなど。
幾つか質問をしたら居なくなってしまいましたが…


つづく
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