~西へ~(354) 66日目⑤ 隠岐国一宮 水若酢神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


隠岐國総社から隠岐國一宮 水若酢神社に。

    

水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、式内社(名神大社)。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。

    
            境内の土俵と木造の二の鳥居


 神門


 拝殿

      

 水若酢神社
主祭神 水若酢命 配神 鈴御前 中言神
神紋 十六紋菊 例祭日 5月3日
特殊神事 水若酢神社祭礼風流
       (県指定無形文化財 隔年毎偶数年斉行)
 由緒
御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ、国土開発、地方防備の任に就かれた神と伝えられている。当社は昔、火災、水害の難にあい古文書社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが延喜式神名帳に「隠岐国穏地郡水若酢神社名神大」、国内帳には「正四位上、水若酢明神、隠岐一宮」と記されている古社である。鎮座年代は、僅かに残っている古文書には応神天皇又旧記には崇神天皇の御代とあって、古来五穀豊穣、海島守護、航海安全の神として朝野の崇敬篤く明治4年国幣中社に列せられた神社である。 -案内板より

 
  本殿(国の重要文化財)


 本殿
身舎(もや)は切妻造妻入で、桁行(側面)二間、梁間(正面)三間。
屋根は茅葺で、棟には千木・鰹木を置き、身舎前面には片流れ・栃葺の
庇を付す。(寛政七年(1795)造営)

     

水若酢神社本殿
この神社本殿は、隠岐地方の特色である「隠岐造り」の代表的建築である。隠岐造りは、本殿が横に長い平面形をもつが、切妻屋根で妻入り、正面に向拝と呼ばれるひさしをつける。また、この隠岐造りはひじょうに装飾性が高く、この本殿もその特徴がよくあらわれている。島後では玉若酢命神社本殿(西郷町)とならび、大規模かつ優れた建築を今に伝えている。現在の本殿は1795年(寛政7年)の再興で、五箇村北方の大工棟梁森寄与八が造営工事を担当した。
本殿は正面3間、側面2間の身舎(本体部分)の前に正面3間の向拝をつけ、背面を除く三方に刎高欄付きの縁をめぐらし、正面中央に階段をつける。身舎の円柱は、床下部分のみ八角形につくり、礎石の上に立つ。柱上には井桁に組んだ敷桁・梁をまわし、さらにその上に軒桁・妻梁を外側に持ち出して井桁に組む手の込んだものである。軒は一段(一軒)で、垂木の間隔が狭い繁垂木である。妻飾は、身舎正面は二重虹梁大瓶束、背面は四重虹梁大瓶束で、虹梁の間に平三斗(最下段は五つ斗)をすえ、装飾性が豊かである。また、屋根は茅葺きである点も特徴のひとつである。
向拝は、両端角柱の上には出三斗を、中央柱の上には平三斗をおき、身舎柱と海老虹梁でつなぐ。軒は二段となった二軒、屋根は栃葺の片流れ形式である。
なお、隔年の5月3日に行われる神事「山曳き」は、2m四方のやぐらを太い縄で引いて歩くめずらしい祭礼で、県指定無形民俗文化財(水若酢神社祭礼風流)となっている。
   平成4年(1992年)1月21日指定
     平成12年(2000年)3月
  島根県教育委員会 隠岐島後教育委員会  -案内板より





          
         隠岐國壱之宮
        水若酢神社 御朱印


                                 つづく






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