近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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夜中に何台か出入りがありましたが、朝起きると貸し切り状態の64日目朝。

本日最初に向かう地・穴道湖が見えました。

朝の渋滞に少し巻き込まれて、穴道湖の横を走り、

目的地、松江城に到着。

まずは、城址に鎮座します「松江護國神社」に参拝します。

北惣門橋をわたり、脇虎口ノ門跡をぬけます。


松江護國神社は、松江城の北ノ丸跡に鎮座しております。

明治維新後の国難に殉じた旧出雲国・隠岐国出身の
英霊2万2千余柱をお祀りする神社であります。

御由緒
昭和十三年十月十五日松江招魂社として、此の城山の地に御創建せられ、昭和十四年四月一日官制に依り松江護國神社と改称し、神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
終戦時神社行政の変動に伴い一時社名を島根神社と変更するも昭和二十八年十二月九日再び松江護國神社と復称し今日に至る。 -案内板より

拝殿

拝殿ない

本殿(神明造)


松江歩兵第百四十二聯隊 母の像
比島戦没者慰霊之碑
副碑碑文
義勇の歌
昭和52年10月建立
満蒙開拓青少年義勇軍 島根県拓友会連合会
島根県知事 恒松制治 書
我等は若き義勇軍
祖国の為ぞ鍬執りて
万里果て無き野に立たん
今開拓の意気高し
顧みれば 昭和12年 国の重要政策として 満蒙開拓青少年義勇軍が創設され 民族■和の理想を実践し 王道楽土の建設の礎石たらんとした
爾来 本県から選出された少年千三百余名 希望に燃えて満蒙の曠野に赴き 酷寒灼熱をしのぎ 祖国の安泰を願いながら
一意開拓の鍬を振ったのである
時に昭和20年8月 突如祖国の敗戦により 雄図空しく悲惨な運命に殉じた拓友三百余柱 往時を偲べば想うも涙す
今年まさに33年に当り 生存者相はかり 緑深きこの聖域に雄魂を永遠に讃えて之を建立す
友よ安らかに眠り給へ
昭和52年10月
満蒙開拓青少年義勇軍島根県拓友会連合会

松江護國神社 御朱印
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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