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国譲り - いづもおおやしろ事始め -
大国主大神はその霊力によって、住みよい日本の国土を築かれました。それはすべてのものが豊かに成長する国土で、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれました。
『日本書紀』の記録によると、大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。天照大御神は大国主大神の私心のない「国譲り」にいたく感激され、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)をおつくりになり、第二子である天穂日命を大国主大神に仕えさせられました。
この天日隅宮が今の出雲大社であり、天穂日命の子孫は代々「出雲國造」と称し、出雲大社宮司の職に就いています。現在は第八十四代出雲国造千家尊祐宮司がその神統と道統を受け継がれています。 -出雲大社公式Webより


彰古館(大正三年(1914)建造)

瑞垣北西の角より瑞垣ないの社殿を眺める


神魂御子神社(筑紫社)式内社。
御祭神:多紀理毘賣命(大国主の妻神で宗像三女神の一人)

本殿(西側)


御祭神大國主大神のお鎮まりになる御本殿の正面は南向きですが、
御神座は西向きとなっているため、拝所が瑞垣西面に設けられています。

南氏社(出雲氏初代の宮向宿彌)・北氏社(出雲国造家祖神の天穂日命)


東側と同様に西側にも、八百萬神をお祀りする「十九社」が鎮座します。


素鵞川を渡り、西側に行くと神楽殿がございました。
(結婚式が行われていたようで、神楽殿前には多くの方が居たので写真は控えました)




出雲大社 御朱印
つづく
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