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島根県出雲市に鎮座します「須佐神社」に到着です。


須佐神社(すさじんじゃ)は、式内社で旧社格は国幣小社で、社号標には、
「須佐大宮」と刻まれていました。

御由緒
出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。
岩政信比古の説
『須佐之男命の社は出雲国内にも、余国にも数多あれど、真の本つ社は此社にぞ有りける。然るを世人これを知らずして杵築大社、或は素鵝社、又は京の祇園などを此の神の御社と謂えるぞ恨めしき。』
各種古文書に徴して、須佐之男命の御本宮が須佐神社であることを証して余りあるものと考えさせられる説と思う。 -須佐神社公式Webより

御祭神
(主祭神)
須佐之男命
(配祀)
稲田比売命 須佐之男命の妻神
足摩槌命 稲田比売命の父神
手摩槌命 稲田比売命の母神

拝殿から本殿を拝す

本殿(島根県指定重要文化財)
大社造、方二間(四米余)、高さ七間(十二米余)
大社造とは、四方の柱の間に一本ずつの柱がある。即ち方二間で中央に真柱がある。中央と右中間の柱との間を壁でとじ、その奥を神座とする。向かって右方一間を入口とし階(きざはし)をつくる。
この入口が右方に偏っていることは、他の神社や仏寺には全く例のないことで、神社と住宅が分離しない原始の建築を伝えている。屋根は切妻栩葺(きりつまとちぶき)で妻の方に入口がある。
-須佐神社公式Webより


塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。
この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは潮の干満と関係があるという。満潮の時には付近の地面に潮の花をふく。浴用、飲用に用いれば万病に効果があり、産湯に少し用いれば幼児が健康に育つという。わずかに塩味を感じる。(社記・島根の名水百選) -案内板より

石亀

須佐の七不思議
「塩の井(しおのい)」
「神馬(しんめ)」
「相生(あいおい)の松」
「影無桜(かげなしさくら)」
「落葉の槇(まき)」
「星滑(ほしなめら)」
「雨壷(あまつぼ)」


須佐大宮 御朱印
つづく
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