~西へ~(327) 63日目② 石見国一宮 物部神社Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、石上神宮および彌彦神社と共に
有名な石見國一宮 物部神社に参拝しております。


 本殿(側面)

 

(向かって左側)
 末社・東五社(神代七代社)
御祭神:神世七代

神世七代
 古事記
国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
 日本書紀
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)

(向かって右側)
 末社・須賀見神社
主祭神の3代目の子孫で兄の六見宿禰命(むつみのすくねのみこと)をお祀りする。
 末社・乙見神社
六見宿禰命の弟の三見宿禰命(みつみのすくねのみこと)をお祀りする。



 摂社・後神社
主祭神の妃神の師長姫命(しながひめのみこと)をお祀りする。


 末社・一瓶社(いっぺいしゃ)
御祭神:佐比売山三瓶大明神



(向かって左側)
 末社・稲荷神社
御祭神:稲倉魂命
合祀:大穴牟遅命、大年神、大地主神(おおとこぬしのかみ)

(向かって右側)
 末社・西五社(皇祖四代社)
御祭神:天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜草葺不合尊


 注連縄の張られた磐座と狛鶴


 折居田のお腰掛岩
むかし物部神社の御祭神字摩志麻遅命(うましまじのみこと)が白い鶴に乗ってこの川合に天降られました。そのところを鶴降山(つるぶやま)といいます。鶴降山から国見をなされたところ、八百山(やおやま)(神社の後山)が大和国の天の香具山(あまのかぐやま)によく似ているので、八百山の麓にお住まいなさることになりました。このとき鶴降山から白い鶴に乗って降りられたところを折居田(おりいでん)といいます。
 折居田には御祭神が腰を掛けたという大きな岩があり、また、むかしから大きくもならず枯れもしないといい伝えのある一本の桜の樹がありました。
ここから東へ六百メートルくらいのところにあって、石碑が建ててあります。
近くには清らかな泉もあり。十種神宝(とくさのかんだから)を祀る石上布瑠神社(いそのかみふるじんじゃ)もあります。
 昭和五十六年の秋、道路の拡張工事のためお腰掛岩(こしかけいわ)と桜の樹を境内に移して伝説とともに永久に保存することになりました。
 御祭神が白い鶴に乗って天降りなされたという伝説によって、物部神社の御神紋は「日負鶴(ひおいづる)」となっています。 -案内板より


    

 柿本神社(左)
御祭神:柿本人麿朝臣

 菅原神社(右)
御祭神:菅原道真公

 

 神馬 奉納の由来
和田家第九代孫二郎(明治44年没す)の遺志により、第十代孝一郎(昭和51年没す)は、25年後の大正9年2月に、等身大の馬の銅像を東京都の伊藤国男先生に依頼作製、奉納し、その遺志を果たしました。
そして、約25年の間、当社の境内に鎮座し、風雪にも負けず、雄姿は本殿を迎ぎ、国の平和を願ってまいりましたが、不幸にも第二次世界大戦により国力の一助として銅像の供出の止むなきに至り、昭和18年に解体されました。時代の過ぎ去るのは早いもので、既に45年が経過致しました。日夜その再建を願って居りましたが、福岡県の彫塑家堤磐夫先生の製作による銅像が、3年余りの歳月を経て完成致しました。
本日、午年の節分の佳き日に、皆様方の御協力により再建することが出来ましたことを本懐に想い喜びにたえません。
  平成2年2月3日  氏子 和田家 第11代 和田共弘

名馬 パーソロン号
 父 マイリージャン
 母 パレオⅡ(その父 ファリス)
1960年(昭和35年)アイルランド産牡馬、鹿毛
1963年(昭和38年)シンボリ牧場 和田共弘輸入
1985年(昭和60年)北海道シンボリ牧場にて没す
パーソロン号は、日本に於いて、種牡馬として供用(昭和38年より昭和60年迄)、その間、常に好状態を維持し、産駒を順調に育成されました。産駒の日本中央競馬に於ける成績はチャンピオンリーディングサイアー(年間の種牡馬産駒の成績日本第1位)になること6回(3才も含む)チャンピオンブルードメアーサイアー(産駒の母の父)には平成元年迄連続3年日本第1位の成績を収め、又、昭和59年、60年にはシンボリルドルフ号により三冠(皐月賞、ダービー、菊花賞)を制し、ジャパンカップ(世界の名馬参加)、天皇賞、有馬記念(日本第1位を決定する競争)に2連覇、七冠達成の日本競馬史上空前の名馬に君臨致しました。
パーソロン号は数多くのクラシック馬を生産すると共に、シンボリ牧場の繁栄の基礎を築きました。
産駒の総収得賞金は、136億円(現在)に達しています。
我国の馬産改良に、不滅の功績をあげることが出来ます事は、之も偏に神より授ったものと感謝しています。
-案内板より


         
           石見國壱宮 物部神社
                御朱印


                                 つづく






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