~西へ~(300) 58日目⑥ 日本100名城 萩城Ⅴ(詰丸(要害)) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

                        (小さい画像はクリックで拡大します)


 


詰丸表門(要害門)をぬけ、詰丸(要害)二の丸跡に着ました。


 詰丸(要害)二の丸跡(東西十九間…37.4m。南北二十間…39.4m)



現在は、多くの樹木が眺望の妨げになっています。


 詰丸(要害)二の丸から本丸を見る(奥の一段高い所が本丸)



矢穴のある大石が転がっています。


 埋門(裏門)跡 
往時は、この虎口の先には山中矢倉があり、その先を下ると
麓の本丸東側辺りに出たのでしょう。



 詰丸(要害)本丸跡(東西二十四間…47.3m。南北二十間…39.4m)



矢穴のある巨石がありました。



山頂には井戸がないので水溜も数カ所造られており、



昭和四十年に土塀の一部と共に復元整備されました。



詰丸表門(要害門)から下山します。



途中、少しだけ下界が見えました。



麓の本丸跡に戻り、東側へ。

 
 本丸(東側)と二の丸を隔てる門跡
(往時は、左右の石垣には多門櫓(三十間長屋)が建っていた)


 内堀の鯉たち


 二の丸東門跡(手前の堀(水路)は海につながってました)


       
       日本100名城スタンプ
          萩城(75)


萩城は、指月山に詰丸を配するなど、戦時を意識した構えとなっており、
徳川に対するきらいがあらわれているように思えた。
そして、260年後に、その思いを達することとなる長州。恐るべし。







                                 つづく








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