近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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詰丸表門(要害門)をぬけ、詰丸(要害)二の丸跡に着ました。

詰丸(要害)二の丸跡(東西十九間…37.4m。南北二十間…39.4m)

現在は、多くの樹木が眺望の妨げになっています。

詰丸(要害)二の丸から本丸を見る(奥の一段高い所が本丸)

矢穴のある大石が転がっています。

埋門(裏門)跡
往時は、この虎口の先には山中矢倉があり、その先を下ると
麓の本丸東側辺りに出たのでしょう。

詰丸(要害)本丸跡(東西二十四間…47.3m。南北二十間…39.4m)

矢穴のある巨石がありました。

山頂には井戸がないので水溜も数カ所造られており、

昭和四十年に土塀の一部と共に復元整備されました。

詰丸表門(要害門)から下山します。

途中、少しだけ下界が見えました。

麓の本丸跡に戻り、東側へ。

本丸(東側)と二の丸を隔てる門跡
(往時は、左右の石垣には多門櫓(三十間長屋)が建っていた)

内堀の鯉たち

二の丸東門跡(手前の堀(水路)は海につながってました)


日本100名城スタンプ
萩城(75)
萩城は、指月山に詰丸を配するなど、戦時を意識した構えとなっており、
徳川に対するきらいがあらわれているように思えた。
そして、260年後に、その思いを達することとなる長州。恐るべし。
つづく
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