近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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さぁ、萩に来た目的の地に向かいます。

指月山が見えてきました。

田中義一の銅像

萩城(別名・指月城)に到着です。

萩城は、関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の
2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長九年
(1604)に築いた城です。


毛利輝元
毛利輝元は、天文22年(1553)毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城(現在、広島県安芸高田市)に生まれた。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。永禄6年(1563)父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育された。
織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万国を領有する大大名に成長し、天正17年(1589)広島に居城を築いた。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇ったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで敗れ、周防・長門2か国36万9千石に削封された。慶長9年(1604)、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城した。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心した。
寛永2年(1625)73歳で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られた。
平成16年11月 萩市 -案内板より

現在は、土橋となっているが、古写真をみると木橋がかけられています。

往時は、こんなかんじ。

wikipediaより転載

萩市観光協会Web「萩・世界遺産バーチャルアドベンチャー」より転載

本丸内門からは、詰丸があった指月山がよく見えました。


枡形虎口をぬけ、本丸内へ。

つづく
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