~西へ~(291) 57日目⑤ 琴崎八幡宮Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
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神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

     
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本日五社目の参拝は、宇部市の総鎮守として崇敬を受ける
「琴崎八幡宮」です。

      

 御由緒
貞観元年(859)僧の行教が御舟で大分県宇佐八幡宮(現:宇佐神宮)より御分霊を京都石清水八幡宮に御勧請の際、海上の時化のため、宇部郷琴芝の浦に寄航し、御分霊をこの地に留めました。里人は御神徳を景仰して琴芝村八王子に祠を建立し、霜降城城主厚東氏からも城南の鎮守として代々尊崇されました。しかし、社地が海岸であった為、祠は長い年月を経て波や風雨にさらされ、やがて廃壊してしまいました。
寿永三年(1184)厚東氏七代目・武光が長門国守護職に任ぜられると、その地を訪れ、新たに社殿を建立するよう命じ、社地は西の宮に遷され社殿を造営し祭事を奉仕し代々崇敬されました。
のち、大内弘世が長門国守護職となり、永和三年(1377)僧の性禅と祀職の豊住がご神託を受けて西の宮から琴崎の地に奉遷されました。これが現在の社地であります。宮碑にはその時の様子が
『松柏薈蔚(しょうはくわいい)にして形琴瑟(きんしつ)の如く 潮松籟(しょうらい)と和す 名を琴崎という豊住(とよすみ)おもえらく 地は潔く景は勝る 神を住ましむるによろし』 と記されております。解釈すると『松の木や葉が生い茂り、三面海に囲まれた岬(崎)の形は琴のようで、波の音と松を通りぬける音がまるで琴の調べのように調和している。地名は琴崎という。私(豊住・当時の宮司)が思うに、清浄な地で景勝地である。よってここに社殿を建立するに絶好の地である。』となります。
藩主毛利氏の崇敬は更に篤く、永禄九年(1566)社殿造営にあたり、毛利元就は竺雲禅師を参拝させ寄進されました。領主福原氏は代々崇敬篤く、社領を献じ、元禄十年(1697)には、福原広頼が社殿を改造し奉られました。福原越後公は、常に当社に参籠し国事の遂行を祈請されたと記録に残ります。
明治六年に郷社に列し、昭和十年十月には、伊勢神宮の御用材を使用し壮麗なる現社殿が新築され、境内外も整備拡張されました。昭和十三年縣社に列せられましたが、戦後、社格制度廃止に伴い、それに代わるものとして特別な神社が別表に掲げられて別表神社と位置付けられ、当社も昭和四十一年七月に別表神社に昇格加列されました。 -琴崎八幡宮公式Webより



参道横には石碑が建っておりました。

     

"天地(あめつち)の 神にぞいのる 朝なぎの海のごとくに 波たたぬ世を"
今上天皇陛下御製碑
昭和60年(1985)11月10日に昭和天皇御在位年と御聖寿84歳を祝賀して、昭和8年(1933)歌会始の御製歌「朝海(あしたのうみ)」を碑文にし宇部市民有志が建立した。
揮毫は元文部大臣の田中龍夫による。 -案内板より(原文ママ)


     

 北清役記念碑
明治33年(1900)2月に欧米帝国主義打倒のため山東省で蜂起した清国の義和団を日本軍がイギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリアの七ヵ国と連合して勝利した記念碑。宇部では旧福原家臣の大冨徳寿が犠牲になったため、地元有志により明治35年(1902)9月に建立された。 -案内板より

     

 宇部市憲碑
大将10年(1921)11月1日に宇部村から一躍宇部市になった。翌年1月に五箇条の御誓文にならって、宇部市民の心得として「宇部市憲」が制定され、昭和3年(1928)の御大典記念で
高さ4.24m 重量6750キロの石に市憲五則を刻んだ記念碑が建てられた。 -案内板より

 宇部市憲
一、皇恩の渥きを奉戴し益々義勇奉公の誠を致すべし
一、固有の美風を発揮し共同一致の精神を貫くべし
一、公徳を守り推譲を重んじ共存同栄の実を挙ぐべし
一、勤倹力行以て文化生活を進め大に社会奉仕に努むべし
一、世界の進運に鑑み鋭意内容の充実を期し本市の使命を完うすべし


      
石段上左右一対の狛犬 

        
一の鳥居前の狛犬(安政五戊午年(1858)三月建立)
千五百五十年大祭

   
二の鳥居と社号額




 手水鉢
安政5年(1858)壱千五百五十年式年大祭記念に、畔頭(くろがしら)の藤田秀兵衛たちが寄進した石製の手水鉢。
銘文「有孚心亨」とは「孚(まこと)有りて心亨(とおる)」と読み、誠の心が有れば(神に)心が通じるの意。  -案内板より








                                 つづく








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