近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
福岡城(別名:舞鶴城、石城)の天守台から本丸を経て、下城します。

先ほどは、表御門からきましたので、帰りは「裏御門」から。

裏御門跡
この看板の左手が福岡城の中枢である本丸への入口のひとつ、裏御門跡です。ここから本丸へ抜けた先には、藩主が政務を行うとともに、住居としても使われた「本丸御殿」が建っていました。この門の左手にある石垣は、古時打櫓台にあたり、二層の古時打櫓(時櫓、太鼓櫓等とも呼ばれる)があったようです。
近年、古写真や文献等による調査で、下之橋御門に隣接する「潮見櫓」(伝潮見櫓)と伝えられてきた櫓こそ、この古時打櫓である可能性が高くなり、本来の潮見櫓は解体保存されている櫓であることが判明しています。 -案内板より

大声で話す集団がゾンビの如く押し寄せてきました。

平成28年(2016)より重要文化財である多聞櫓の改修工事が始まる。
二層櫓のあと長櫓を改修工事の予定とのことです。

三の丸(松ノ木坂)
福岡城は初代福岡藩主・黒田長政(くろだながまさ)が慶長(けいちょう)6年(1601)から7年がかりで築城しました。ほぼ現在の舞鶴公園にあたる内郭は天守台、本丸、二の丸、三の丸の4層に分かれ、潮見櫓(しおみやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)、花見櫓(はなみやぐら)をはじめとする47もの櫓がありました。
城内の建物や石垣は、火災による焼失や自然災害による崩壊などによってしばしば修復が行われたほか、江戸期を通じて若干の改変がありましたが、築城当初の縄張りに大きな変化はなかったようで、内郭部分41万m2(福岡ドーム6個分)の広さを誇った雄大さを今も感じることができます。城下の武家屋敷まで含めると246万m2(福岡ドーム35個分)もの広さをもつ、日本有数の広大な城です。
現在地は三の丸の「松ノ木坂御門跡」へ続く入口にあたり、ここから二の丸、本丸、天守台へと城内を登っていくルートのひとつでした。ここ三の丸には、藩主を支える家老たちの屋敷群がありました。 -案内板より

城址銘碑の写真を撮ろうと思い向かいましたが、大声で中国語らしき
ものを話す集団に占拠されていました。

日本100名城スタンプ
福岡城(85)
待っていても埒が明かないので、城郭中心部の東側、
東御門近くの鴻臚館(こうろかん)跡に向かいました。
(小さい画像はクリックで拡大)
つづく
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