近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
吉野ヶ里遺跡での復元構造物は、多くの柱の跡や木材が遺構として残って
おり、これをもとに復元されています。遺構の保護やさらなる発掘のため、
もともとあった場所から異なる場所に復元されたものもあるが、盛り土を
して遺構を保護した上で真上の同じ場所に復元されたものもあります。

北墳丘墓 ~歴代の王の墓~
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。このお墓は人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっています。中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもありました。このお墓は弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものですが、その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として人々から大切にされていたようです。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより

立柱
立柱の穴跡は径1.4~1.8m、深さ1.1mでした。このことから、立柱の径は50㎝、地上部は概ね7mであったと推定されました。諏訪大社の御柱等の民族事例を参考に、彫刻のないまっすぐな柱として復元しました。
祀堂
墳丘墓に眠る祖先の霊に毎日お供え物を捧げ、お祈りをするための施設と考えられています。
墓道
北墳丘墓の南側に付随する道は北墳丘墓にお参りにいくための道と考えられています。
墓道内からは祭祀土器や枝のついたままの細い木の棒数本分が出土しました。
この道は外環壕の外から伸びており、吉野ヶ里集落だけでなく周辺の集落を含めたこの地域全体の「国」の人々が北墳丘墓にお参りに来ていたものと考えられます。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより

鍵形に折れ曲がった入口
真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造をしています。こうした造りは古代の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示しています。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより


北内郭居住者の役割
北内郭には、最高司祭者とその従者がいたと想定しています。従者の存在は先述した『魏志』倭人伝の卑弥呼のもとに唯一人、出入りする男子がいたとの記述に従って想定しています。
この従者は、最高司祭者の神がかりとなった言葉を聞く役割を果たしていたと想像できます。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより


高床住居
正方形に近い、特殊な形をした高床の建物です。主祭殿の近くに位置していることから、倉庫ではなく、普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられています。神聖な人が住む場所であることから、1階部分についても網代で囲われ、建物全体が閉鎖的な空間になっていたようです。
-吉野ヶ里歴史公園公式Webより

主祭殿
主祭殿は吉野ヶ里環壕集落内で最大規模の建物であり、その主軸が北墳丘墓と南墳丘墓を結ぶ南北軸に一致する建物であることから、北内郭でも祭祀性が高く、北内郭の祭祀の中心となる建物と推定しています。
柱の太さ・間隔から3層2層建ての高床建物となると考えられ、古代中国の建物に関する記録や民族(俗)例等から、中層と上層は異なる機能を持っていたと想像できます。
中層部分は政治の場と想定し、また、祭りの際には直会の場としても利用された物として、共同体にとっての重要な決定を行う際の支配層の集会を行う場としました。
上層部分は南北の主軸が一致する建物はもっとも祭祀性の高い場であったことが考えられるため、最高祭祀権者が祖霊に安寧と豊饒の祈りをささげる場として復元しました。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより


復元の考え方
構造形式は、当時の最新技術である総柱型の台輪式の高床建築とした。
中層床下部には、島根県上小紋遺跡(弥生時代)から出土した柱材等を基に想像される、構造的に有効な貫(水平材)を設けた。
地上部の高さは、台輪をのせた柱高さを柱間とほぼ同じ高さと想定し、中層の床高さを4.5mとした。
壁は板壁とし、出土したチョウナ(当時の鉋)を根拠とし、チョウナ仕上げとした。
屋根の形態は上層部を寄せ棟草葺き中層部板葺きとした。
-吉野ヶ里歴史公園公式Webより

主祭殿2階
吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラの長が集まっています。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより


主祭殿3階
祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。 -吉野ヶ里歴史公園公式Webより

吉野ヶ里歴史公園は、見学だけでなく、さまざまな体験ができるようです。
「勾玉づくりや火おこし体験、鏡や銅鐸など吉野ヶ里遺跡にちなんだものを
製作するものや弥生時代の暮らしを体験できる竪穴住居での宿泊体験など
もありました。

日本100名城スタンプ
吉野ヶ里遺跡(88)

本日の旅泊地・山浦PA 車中泊
第51日目終了
本日の走行距離 56km
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つづく
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