近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら

52日目の朝です。未明からの雨が上がっておらず。

しかし、最初の目的地に着く頃には、何とかあがりました。


千栗八幡宮 旧国幣小社
祭神
應神天皇
仲哀天皇
神功皇后
難波皇子
宇治皇子
住吉明神
武内宿禰
● 由緒
神亀元年(七二四)聖武天皇の勅を奉じて 養父郡司 壬生春成が、この地に社殿を造営し創建したと伝へている。以来本宮は宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、朝廷からも厚く尊崇を受けた。慶長十四年(一六 〇九)には後陽成天皇より「肥前国総廟一宮鎮守千栗八幡大菩薩」 の勅額を賜わった。
中世以降は肥前国一宮と呼ばれている。
昭和二十三年 神社本庁別表神社
祭 日
三月十五日 御粥祭 五穀豊饒を祈り粥占神事
八月一日 名越祭 無事息災を祈り茅の輪神事
九月十五日 例大祭(俗に放生会)御神事、行列浮立
以上重要な祭りで年間数十度のお祭りがある。
● 人生儀礼
着帯の祝い
新しい生命が宿ってから五ヶ月目の戌の日に岩田帯をしめて赤ちゃんの無事出産を願います。
お宮詣り
男児三十一日、女児三十三日目に、両親、 共々神社に参拝し、お子さまの無事成育を願います。
初誕生・餅踏の儀
生後、初誕生餅踏の儀を行います。
七・五・三の祝い
七才・五才・三才の男女児十一月十五日 無事成育を祈ります。
入学奉告祭
小学校入学は、家庭の生活から社会生活の第一歩として、大きな意味を持つので、この事を祝うと共に産土神に御奉告申上げ勉学を祈ります。
厄年の祓い
厄人 男四十一才、女三十三才
身を慎み神様の加護を祈ります。
還暦祝
本赴返りの祝とも云い、満六十才
岩田帯、餅踏のわらぢぞうり、神社にて授與します。
千栗八幡宮社務所 -案内板より


文化五年(1808)八月吉祥日


千栗八幡宮一の鳥居
(石造肥前鳥居)
町重要文化財 建造物
千栗八幡宮の御神祭は応神天皇、合祀中哀天皇、神功皇后、住吉仲皇子、難波皇子、宇治皇子、武内宿禰です。九州五社八幡宮の一つであり、武の神として昔から崇められてきました。聖武天皇の頃、神亀元年(724)に養父郡司壬生春成により創祀されたと伝えられています。(元国幣小社)
この鳥居は、慶長一四年(1609)鍋島藩祖鍋島直茂公によって奉納されたもので、笠木と島木及び柱貫は、すべて三本継となっています。島木は、形式化して笠木と一体となり、木鼻はゆるやかに沿っています。柱の上部には台輪があり、柱の下部は張り出して生け込みとなっていて、肥前鳥居の特色をよく備えています。県内に広く分布している石造肥前鳥居のうち古いものの一つにあたります。
鳥居には、(銘)「泰長院是琢」、(筆者)「洪浩然」、(額面)「正八幡一宮(両柱銘)扶桑国西海道肥前国千栗山正一宮八幡大菩薩恭惟鍋島加賀守豊臣朝臣直茂正八幡宮九州鎮護(以下不明・・・)寿山東須禰保十億万歳之外福海湛香水向九族一門之内 慶長一四年歳己酉九月八日」と刻まれています。洪浩然は朝鮮半島の人で、書面を書く役として直茂・勝茂に仕えていたようです。
昭和五十四年七月指定 みやき町教育委員会 -案内板より

一直線で急な石段を滑らないように慎重に上りました。

社殿


拝殿の社号額と在来馬のような神馬

本殿(入母屋造)
(小さい画像はクリックで拡大)
つづく
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