近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
佐賀城本丸歴史館を出て、本丸周りを見ます。

西門跡を外側から見ると左奥に一段高い天守台が見えます。
2012年より大規模な天守台の発掘調査が行われており、
立ち入りが出来ませんでした。

佐賀城天守台
正保4年(1647)に記された『肥前国佐賀城覚書』によれば、かつてこの地に五層の天守閣が築かれていたという。
本丸からは、この天守台には上がれず、二の丸の西から本丸石塁北の犬走りを通って入るようになっている。
初代藩主鍋島勝茂の時代、慶長14年(1609)に完成した佐賀城の天守閣は五層の破風のない素朴ながらも実戦向きの建物であった。
佐賀城は、八反井樋と今宿江をせき止めれば天守と本丸の一部を除き、外は城下はじめ、全体が湖水化する設計になっており、敵の侵入を阻む仕組みになっていたといわれている。
このため佐賀城を一名「沈み城」というのはこのことに由来する。
だが、一説には他の城は城下から離れれば離れるほど、その天守が高々とそびえて見えるのに対して、佐賀城は城下を少し遠ざかると、楠や松の木に隠れて見えなくなるためだともいわれている。
しかし、佐賀城は享保11年(1726)、4代藩主吉茂のとき、本丸・二の丸・三の丸・天守閣が焼失した。
その後復興されたが、天守閣は再建されないまま今にいたる。
佐賀市 -案内板より

本丸西側の堀跡
本丸南側の堀沿いの犬走りを東に向かいます。


城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である佐賀城の堀は、幅50m以上
(幅四十間(約70m)のところ)もあります。


佐賀藩と言えば、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功した藩で、嘉永六年
(1853)ペリーが来航すると、幕府の注文に対し反射炉を増築し、24ポンド
砲25門、36ポンド砲25門を納めた。又当時、世界で最高の技術を要する
アームストロング砲を佐賀藩では元治、慶応年間に3門鋳造することに
成功している凄い藩であります。


日本100名城スタンプ
佐賀城(89)

幸陽閣(国道208号環状南通り末広橋交差点近く)
佐賀城の駐車場係の方に教えて頂いた店です。「佐賀ラーメン」の代表的な
店との事です。駐車場付きの独立店舗、駐車する為に少し待ったが店内に
入るとすぐに4人掛けテーブル席へ。(基本、相席はないのか?)
着丼。少しトロミのあるスープはトンコツの出汁が良く出ており、表面を
覆う油で熱々。タップリ入っているのも嬉しい。薄黄中細直麺は柔らかめ
だが不味くはない。薄いがモモチャーシューも4,5枚入るので嬉しい。
10%ほど高く感じた価格は消費税増税時に便乗値上げしたからか?
御飯と一緒に普通に頂きました。

ラーメン+御飯(小)
つづく
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