~西へ~(247) 51日目⑥ 日本100名城 佐賀城Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





現存構築物「鯱の門」の後は、復元された御殿を見学します。


 左・御殿(復元) 右・鯱の門(現存)



入口横に展示されている洋式砲は、モルチール砲(臼砲)と呼ばれ、
西洋砲術の開祖高島秋帆によって作られました。



     

 佐賀城本丸歴史館とは
 本丸御殿とは、「城」の中枢部の建物でした。みなさんが「城」と聞くと、石垣の上にそびえたつ「天守閣」を想像し、その最上階では、藩主が領地を見渡している姿を想像するのではないでしょうか。しかし、あの「天守閣」は、物見櫓や権力を象徴する建物に過ぎませんでした。では、藩主が政治を行い、生活をしていたのはどこだったのでしょう。それが、本丸御殿でした。
 現在は、佐賀城本丸御殿の一部を忠実に復元した「佐賀城本丸歴史館」が佐賀城跡に建てられています。当館は、日本で初めて本丸御殿を復元しており、木造復元建物としては日本最大級の2,500平方メートルを誇ります。館内では、時代を先導した「幕末・維新期の佐賀」をテーマに佐賀城の復元や幕末・維新期を先導した佐賀藩の科学技術、佐賀が輩出した偉人について分かりやすく紹介しています。
-佐賀城本丸歴史館公式Webより


  

式台付きの立派な玄関から入ります。



何と入場無料。(任意の募金のみ)



各部屋に案内板があり、分かりやすい解説がされております。

     

         

      

      

      

 展示テーマ
・「佐賀城の変遷と本丸」よみがえる佐賀城
・「幕末・維新期の佐賀」輝きの時代
・「明治維新と佐賀の群像」開拓者の道  -佐賀城本丸歴史館公式Webより


        

 




 御座間・堪忍所(佐賀市重要文化財)
1838(天保九年)に、十代藩主鍋島直正により建設され、藩主の居間として利用された建物です。1958(昭和三十三)年に、佐賀市南水ヶ江地区の大木公園に移築され、公民館として利用されていましたが、佐賀城本丸歴史館の建設に際し、再度この場所に移築しました。
今回の再移築にあたっては、建設当初の姿を忠実に復元するために、柱などの部材のうち使用できるものは元の位置に戻しています。
このため、その部材には、公民館として活用するために改装された際の加工穴や傷の跡が見られます。 -案内板より


     
   小笠原長行愛用の兜
この兜は、鉢の部分が木(桐)でつくられている。
その理由を家臣にたずねられた長行は、「兜は、ただのおどしだ。負けて逃げるときに、金物だとじゃまになる」と、笑って答えたという。
 長行公征長兜(複製)     -案内板より


     

良く復元された御殿でした。
気になる部分「釘隠しがない」があったので、案内にて聞くと、
「史料がなく、不明のまま勝手に作るよりは、ない方が良い」という
事で、潔くつけていないそうだ。そこまでこだわるなら「雨樋」も
つけないで欲しかった。外観を見ていると違和感がある。



     (小さい画像はクリックで拡大)



                                 つづく







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