近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
嘉瀬川の西岸に鎮座している「與止日(よどひめ)女神社」の境内を散策します。

嘉瀬川は、川上川とも呼ばれ、肥前国風土記では佐嘉川。
当社の側を流れる流域は聖地とされ、殺生禁断でした。
特に、ナマズは祭神の使いとして、土地の人は食べないそうです。
肥前国風土記に、以下の記述があります。
「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。
海の神鰐魚を謂う年常に、流れに逆ひて潜り上り、此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従ふ。
或は、人、其の魚を畏めば殃(わざわい)なく、或は、人、捕り食へば死ぬることあり。
凡て、此の魚等、二~三日住まり、還りて海に入る。」
この魚がナマズと考えられているようです。
川上川の上流には、淀姫淵・明神淵・弁財淵など、古代祭祀遺跡らしき場所が多く存在しています。 -與止日女神社公式Webより

與止日女天満宮
天満宮は、学問の神様として知られている菅原道真公を祭神として祀っています。
天満とは、菅原道真公の神号の正式名が「天満大自在天神」で、
あらゆる天界の神々を支配し自在に操り、その神を享受することから、
その名があります。
学問向上や受験にご利益があり、またボケ封じの神様として
地域の人々の信仰を集めています。 -案内板より

境内社(石祠)
若宮社(仁徳天皇)、百代宮(豊玉姫命和魂神)、代永宮(同荒魂神)、
香椎宮、竃門宮、寶満宮、王子宮、淀姫社、住吉社、志賀宮、
加茂宮、春日宮、稲荷宮、阿蘇宮、山王宮、乙宮社、高良宮


河上神社金精さん由来記
自然石又はこれに人工を施した男根、女陰の形をしたもので男性、女性の象徴を神として祭ったのが古い昔から日本の特に僻地山村に多く見られるようである。金精さまは本来性の神で、それが生産神となり所によっては邪悪の神を塞ぐ塞神としても祭られた。形からみて初め、庶民の縁結びの神、性病平癒祈願の神、子宝の神として信仰があった。
その昔神功皇后三韓征駐の折り当地におとどまりんあされし妹君の与止日女様が子宝に恵まれぬためにひそかに館の一隅にあった男根の自然石に肌をふれて子宝を願ったところ、色あくまで白く、きめこまやかにして玉の如き子供が授かったという。以来金精さんとして河上神社の一隅に安置してありましたが今度皆様の要望により一般に公開致します。
平成元年2月 佐賀大和町観光協会 -案内板より


与止日女神社の楠(クスノキ)
樹齢(推定) 1400年
樹高 20m
幹回り 7.2m
枝は張り 22m


夫婦杉
この2本の杉は「夫婦杉」と呼ばれ、神社にお参りをした後に、
この杉の周りを回ると、夫婦・恋人・友人同士が仲睦まじく、
家内安全、子孫繁栄・・・・・の3つの願いが叶うと言われます。 -案内板より

大楠の由来
大楠の由来
日本武尊巡り幸しし時、樟の茂り栄えたるを覧まして、
勅りたまえし、「此の国は栄の国と謂ふべし」とのりたまひき、
因りて栄えの郡といひき。後に改めて佐嘉と号く。
新・肥前風土記より -案内板より


今からおよそ370年前、明国の僧如定はこの大楠を見て「珍しい大木である。
大唐四百余州広しといえども、恐らくかかる大木は見られまい。」と驚愕したと言う。
鍋島初代藩主勝茂はこれを聞いて、かかる名木であれば、周囲に高く石垣を築かせ、
国の霊木として保護したとあるから、今の石垣がそれであろう。
大楠の大きさは高さ30メートル余、幹の周りは27メートル、弓の弦を15筋繋いでも、
なお足りなかったと言われる程の大木であった。
昔から御神木として人々は、この木を拝んでいたという。
1813年(江戸時代、文化10年 仁孝天皇)落雷により火災。今に及んでいる。
-案内板より


與止日女神社 西門
●昭和61年に県の重要文化財指定
●室町時代後期(1470年以降)に創建され、柱の楠材は当時のものと言われています。
元亀元年(1570年)今山の戦いで一部焼失したが、元亀4年(1573年)、龍造寺政家
(隆信の長男)と神代長良(勝利の長男)によって修復再建されたもので、町内では
最も古い建物です。昭和48年に大補修が行われています。 -案内板より

肥前国一宮 與止日女神社
御朱印
(小さい画像はクリックで拡大)
つづく
当ブログの無断使用は禁止です。
メッセージにて確認をして下さい。その上で、
文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。