近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
式内社(名神大社)論社、対馬国一宮論社で、旧社格は県社の
厳原八幡宮神社(正式な社名は八幡宮神社)に着ております。

本殿
御朱印を頂く際に「拝殿奥の社のご祭神は?」と聞きますと、教えて下さり、
「入って行って良い」との事。「外国人がドンドン入り込んで困っているので、
閉鎖している」との事。
お礼をして「本殿」拝し、「式内社・平神社」にお参りをいたしました。


社号 平神社(旧村社)
祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
仁徳天皇
日本武尊
莬道皇子(うじのわきおうじ)
例祭日 旧暦8月15日
本社は瓊瓊杵尊の朝天日神命津島県主たりし時に祖神天穂日命を祭られしなり。其の後日、日本武尊、仁徳天皇、莬道皇子の三神を加祭す。延喜式神帳にのる下県郡平神社是なり。明治13年10月12日、社格村社に列せられる。 -案内板より

社殿側より見た境内


社号 宇努刀神社
(祇園社)旧村社
祭神
須佐男命
例祭日 旧暦6月15日
本社は神功皇后新羅征伐畢られ給ひ凱還の時上県郡村に着給ひて島大國魂神社を拝し夫より佐賀村に着せられ此の地に島大國魂神社の神霊を分つて皇后親から祭り給ふ。
是延喜式神社名帳に載る上県郡宇努刀神社定なり。延徳3年6月14日佐賀村より下県郡厳原町八幡宮神社境内に遷し祭る。
明治13年11月12日、社格村社に列せられる。 -案内板より



社号 天神神社 (左)
祭神
安徳天皇
菅原道真公
例祭日 旧暦8月14日
安徳天皇文治の乱を避け都を出させ給ひて筑後に須らく潜ませ給ひ筑後の吉井より当州に下り給ひて久根村大内山皇家の地に遷居し給ふ。是を信御所と稱す。帝終に対馬に崩ず。因つて八幡宮神社境内に神祠を造り祭りし天神神社と稱す。貞治元年、菅原道真公の霊を加へ祭る。 -案内板より
社号 今宮 若宮神社 (右)
祭神
小西夫人マリア
例祭日 旧暦8月14日
小西夫人マリアは小西行長の長女として生れ、天正18年(1590)十五才で宗義智夫人として金石城に入った。
マリアは信仰心厚く義智をも入信させた。関ヶ原の戦後小西家滅亡と共に慶長六寝(1601)十月追われて長崎に行き五年後清い信仰生活のうちに死んだ。元和五年(1619)霊魂を鎮めるためマリアとその子を祭り今宮 若宮神社と称した。後天神神社に合祀された。


忠魂碑
帰る時にも、まだ石段に座りこんだ団体が、そのまま居たので、ガイドに
「ここは神様と参拝をする人が通る道であるから話をするなら他でやってくれ」と注意をしました。


対馬國 厳原八幡宮神社
御朱印

神社駐車場の隣の空き地
(左に忠魂碑、正面に社務所、神功皇后が祀った山・清水山)
お聞きした話によると、ここに免税店を建てる予定だそうです。
前及び現政権は訪日外国人旅行者を増やそうと積極的に査証(VISA)を発給している。それに伴い、
ここ対馬や沖縄などでは、それら外国人の落とす金は貴重な収入源となり、仕方なくも含めて歓迎している。離島では職も少なく観光産業に頼らざるを得ないのは仕方ないが、同時に大きな問題もある。
(2015年には、人口3万2000余りの対馬に韓国人観光客だけでも21万3000余人/年が来ている)
島国である日本国は「離島≒国境」なので、警備力の強化や離島の人々が外国人に頼らずにすむように日本人観光客を誘致する助成金(フェリーや飛行機などの運賃助成など)を増額して問題に対処していかないと取り返しのつかない事になってしまいます。
買物をして旅泊地にやってきました。

管理の方は「他の方は居ませんので、ご自由にお使い下さい」と言い
帰って行きました。入り江の奥にある広い野営場にボッチ。

周辺を散策し、シャワーを浴びて夕めし「対馬産の刺身」です。

水いか(アオリイカ)・ヤズ(40cm以下のブリの呼び名)・ヒラス(ヒラマサ)
第49日目終了
本日の走行距離 47km+フェリー66km
(小さい画像はクリックで拡大)
つづく
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