~西へ~(233) 49日目② 対馬国一宮(論)厳原八幡宮神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


対馬上陸最初に向かったのは「対馬国一宮(論)厳原八幡宮神社」です。

      

一の鳥居で一礼し、境内に入りますと、参道の石段にたむろする集団。



非常識な振る舞いと洋服の色合いから日本人ではないと感じる。

      

一の鳥居の先に駐車場、その先に鳥居が二基。



参道の石段は三本ありました。
(境内社への参道が二本、右側が八幡さまへの参道)

  

参道(石段)に座りこむ団体客で参道が狭まり通りにくくなっていましたが、
声をかけて、通り抜けました。 



石段を上がると参道は右に曲がるようになり神門。

       
                 神門前の狛犬



神門をくぐると、参道脇には石塔、小祠が並んでます。


 参道脇に並ぶ小祠、石灯籠

   
  社号 八幡宮神社
   (嚴原八幡宮神社)
 旧県社
 祭神
神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
應神天皇(おうじんてんのう)
姫大神(ひめのおおかみ)
竹内宿禰(たけうちのすくね)

本社は、神功皇后三韓御征伐の時、対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と弊帛を岩上に置き、皇后親から天神地衹を祭りて永く異國の冠を守り給へと祈り給いて神籬 ( ひもろぎ ) 、 磐境 ( いわさか ) を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳4年(西暦655年)の勅によりて同6年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治7年6月社格郷社に列せられ、大正5年11月26日県社に昇格す。 -案内板より



 拝殿と神馬



拝殿から奥は立入禁止になっていました。



     (小さい画像はクリックで拡大)



                                 つづく







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