近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
平戸城は、平戸瀬戸に突き出した三方を海に囲まれた亀岡山(標高53m)に
築かれた梯郭式平山城であります。


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城郭南側大手より本丸を目指します。

この大手道は、二の丸に鎮座します「龜岡神社」の参道となってました。

石造りの一の鳥居をくぐり、真っ直ぐな参道を進むと、


大手一ノ門に建つ、二の鳥居です。

大手道(参道)はここで筋違いとなり、

大手二ノ門跡になります。

山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた平戸城。
平山城では唯一の山鹿流による城郭であります。

腰石垣

ニノ大手門跡

三の鳥居(ニノ大手門)

城内から見たニノ大手門跡。坂虎口になってます。

二の丸跡


境内社:住吉神社・宮地嶽神社 亀石?

神楽殿
平戸神社の神楽は、「平戸神楽・大大神楽(24番)」といわれ、
国の重要無形民俗文化財に指定されてます。


神門前に建つ二対の狛犬たち

神門


由緒
寛永8年(1631年)、平戸藩藩主松浦棟が祖霊4柱を平戸城内の霊椿山に
祀ったのに創まり(霊椿山神社)、歴代藩主の崇敬を受け、社殿の修造等
一切は藩費を以てなされる例であった。
七郎神社は社領20石を有していた。
明治になって霊椿山、七郎、乙宮、八幡の4神社を合祀する事となり、明治
11年(1878年)に現社地に社殿を営み、翌々13年に各祭神を遷座、現社名に
改称して県社に列し、平戸の産土神とされた。

拝殿

ご祭神は、
(主祭神)
源大夫判官久命(源久、松浦氏の祖)
松浦久公(松浦家八代)
源藤次持命(持公)(松浦家十一代)
松浦答公(松浦家十四代)
松浦肥州定命(定公)(松浦家十五代)
左衛門尉勝命(勝公)(松浦家十六代)
松浦詮公(松浦家三十七代)
(相殿神)
-七朗神-
七郎氏広命、
志自岐大明神(十城別(とおきわけ)命)
神島大明神(鴨一隼戸命)
-乙宮神-
天照皇大神、
住吉三神(表筒男神、中筒男神、底筒男神)
天児屋根命
-八幡神-
誉田別天皇
宇迦之御魂神
天御柱神国御柱神(あめのみはしらくにのみはしら)
倉稲魂命
弥都波乃売(みづはのめ)神 で、ございます。


つづく
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