~西へ~(278) 46日目⑤ 日本100名城 平戸城Ⅱ(亀岡神社) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


平戸城は、平戸瀬戸に突き出した三方を海に囲まれた亀岡山(標高53m)に
築かれた梯郭式平山城であります。

       
                   (クリックで拡大)



城郭南側大手より本丸を目指します。



この大手道は、二の丸に鎮座します「龜岡神社」の参道となってました。

               

石造りの一の鳥居をくぐり、真っ直ぐな参道を進むと、

     

大手一ノ門に建つ、二の鳥居です。



大手道(参道)はここで筋違いとなり、



大手二ノ門跡になります。



山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた平戸城。
平山城では唯一の山鹿流による城郭であります。


 腰石垣


 ニノ大手門跡

     
      三の鳥居(ニノ大手門)


 城内から見たニノ大手門跡。坂虎口になってます。


 二の丸跡

   
 境内社:住吉神社・宮地嶽神社    亀石?


 神楽殿
平戸神社の神楽は、「平戸神楽・大大神楽(24番)」といわれ、
国の重要無形民俗文化財に指定されてます。



     
  神門前に建つ二対の狛犬たち


 神門

 

 由緒
寛永8年(1631年)、平戸藩藩主松浦棟が祖霊4柱を平戸城内の霊椿山に
祀ったのに創まり(霊椿山神社)、歴代藩主の崇敬を受け、社殿の修造等
一切は藩費を以てなされる例であった。
七郎神社は社領20石を有していた。
明治になって霊椿山、七郎、乙宮、八幡の4神社を合祀する事となり、明治
11年(1878年)に現社地に社殿を営み、翌々13年に各祭神を遷座、現社名に
改称して県社に列し、平戸の産土神とされた。


 拝殿



 ご祭神は、
(主祭神)
源大夫判官久命(源久、松浦氏の祖)
松浦久公(松浦家八代)
源藤次持命(持公)(松浦家十一代)
松浦答公(松浦家十四代)
松浦肥州定命(定公)(松浦家十五代)
左衛門尉勝命(勝公)(松浦家十六代)
松浦詮公(松浦家三十七代)
(相殿神)
-七朗神-
七郎氏広命、
志自岐大明神(十城別(とおきわけ)命)
神島大明神(鴨一隼戸命)
-乙宮神-
天照皇大神、
住吉三神(表筒男神、中筒男神、底筒男神)
天児屋根命
-八幡神-
誉田別天皇
宇迦之御魂神
天御柱神国御柱神(あめのみはしらくにのみはしら)
倉稲魂命
弥都波乃売(みづはのめ)神    で、ございます。


       




                                 つづく







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