~西へ~(259) 43日目⑪ 日本100名城 熊本城Ⅱ(加藤神社) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら





加藤清正公が中世城郭を取り込み改築した梯郭式平山城の熊本城。

       

 平成の熊本地震による被害
2016年(平成二十八年)4月14日21時26分以降発生している最大震度7の熊本地震の前震と本震など、相次ぐ揺れで被災。
2016年(平成二十八年)6月10日の熊本市議会で石垣の被害について報告があった。熊本城の全石垣約7万9000平方メートルのうち、50カ所の約2万3600平方メートル、517面で石垣の崩落、膨らみ、緩みがあった。そのうち、崩落は50カ所、229面におよんだ。建物は前震のあった4月14日の時点では重要文化財建造物10棟に被害が確認され、その内長塀は80メートルの倒壊、瓦・外壁落下など9棟であったが、本震のあった4月16日の時点で、倒壊2棟、一部倒壊3棟。他は屋根・壁破損など、重要文化財建造物での被害は13棟となった。 そのほかに、復元建造物の被害は20棟におよび、そのうち倒壊は5棟。他は建物下部の石垣崩壊や屋根・壁の破損などの被害が報告されました。



 左から小天守(外観復元)、大天守(外観復元)、宇土櫓(現存)

     
    宇土櫓(現存)
五階櫓の中でも「三の天守」とも呼ばれる宇土櫓(うとやぐら)は、3重5階地下1階で、熊本城では大小天守を除いて最大の櫓である。高さ約19mあり、近世以前に建造された天守や櫓との比較では姫路城、松本城、松江城に次いで4番目の高さである。破風はむくりを持ち、諸櫓と同じ仕様で造られているが、最上階に外廻縁を持つ。清正の創建した初代天守ではないかという見方もある。

       

熊本城本丸に鎮座します、肥後熊本藩初代藩主、
加藤清正公をお祀りする神社「加藤神社」に到着です。

          
          狛犬(昭和十一年(1936)七月二十四日建立)

       

 御祭神
加藤清正公
 陪神
大木兼能公 韓人金宦公
 由緒
加藤清正公(永禄5年(1562)6月24日~慶長16年(1611)6月24日)は、尾張国愛知郷中村(現名古屋市中村区)の御出身で、戦国時代の智仁勇の三徳を兼備された模範的な武将として、また、熊本に於いては、日本三名城の一つである熊本城の築城と、そりにはじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進めた方であります。
それは県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓開墾・植林・交通の便の為の街道づくり・焼物等幾多の国の発展の礎となる産業の奨励保護等民草の為の治政をなされ、また、学問の奨励、文化の開拓等と一つ一つ列挙すれば限りない程の偉業を残された領主であられます。
それに武将としての清正公は、単なる勇ましいばかりの武士ではなくして、常に大儀名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた方であります。この様に27歳で肥後国に入国され50歳で逝去なされた、清正公の50年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於いても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的日本人であられ、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たされた大恩人であられます。-案内板より



 社殿(昭和三十七年、熊本城内の現在地に遷宮)


 扁額「仰清正公」


 拝殿ない

     

加藤神社でも被害が出ています。


 小天守(外観復元)と大天守(外観復元)

  

それにつけても立派な石垣である。
清正公は特に石垣造りを得意としており、熊本城では「武者返し」と呼ばれる
下では、緩やかな勾配のものが、上部に行くにしたがって垂直に近くなる
形状の石垣を多用しています。
熊本城で使用されている武者返しは慶長の役の際に朝鮮に築かれ、難攻
不落と呼ばれた蔚山倭城(うるさんわじょう)に使用した築城技術を元にした
ものです。
この構造が西南戦争で薩摩軍の包囲戦をしのぐことができた要因の一つとなっている。熊本市役所前の石垣は、長さとしては日本最長である。
2016年の熊本地震の際には石垣の約3割が崩落する被害を受けたが、その際、崩落した石の側面から建設時に石工が祈念や地鎮のために描いたとみられる「人形(ひとがた)」と呼ばれる人物の線刻画が発見されました。

      
      加藤神社 御朱印           日本100名城スタンプ
                                熊本城(92)




加藤神社を後し、戻ります。


 西大手門(復元)にも被害が出てます。



熊本城の復旧・復元を目指して「復興城主」始動!!
 「熊本城災害復旧支援金」詳しくは、熊本城公式Web→こちら





                                 つづく







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