~西へ~(255) 43日目⑦ 日本100名城 人吉城Ⅵ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


「御下門」を出て、先程通過してきた「堀合門」へ


 堀合門(ほりあいもん)復元構造物
堀合門は城主が住む御館の北側にあった裏門で、文久2年(1862)の「寅助火事」でも焼失を逃れた。 明治4年(1871)の廃藩置県後は、城外の士族である新宮家に移築され、人吉城唯一の現存する建造物として、 市の有形文化財に指定されている。形式的には棟門と呼ばれるもので、 化粧垂木に強い反りを持たせた屋根の優美な曲線が特徴的である。 門跡の発掘調査では、門柱を建てた2つの礎石跡とその両側にあった排水溝が確認された。 この門は、旧位置での発掘結果や移築され現存する門、絵図に描かれた姿に基づいて、 平成19年度に塀や排水溝と共に復元したものである。-案内板より


 堀合門(御屋館側)



堀合門をくぐると、左手に三ノ丸搦手続く道。
右手は御館跡(現 相良護国神社)

   

石垣が組まれた、細い道を進み、三ノ丸に上がらず「郷義館跡」へ。

       
 先程、三ノ丸から見た工事中の崖


 人吉城中心部南側の石垣

    
 人吉城中心部の東側。切通しのようになっている。右手は「中原城跡」



東側にも多くの石垣が見られます。


 清水観音跡


 地蔵院跡

     
  人吉城北東部の球磨川への虎口(谷口渡)



天然の要害を利用し、要所要所に石垣を組み防衛力を上げている
人吉城。現在は、よく整備され、徐々に構築物も復元しているようです。

 

最後に城址西側にある「人吉城歴史館」へ。

       

歴史館ないは、撮影禁止。人吉城跡のジオラマや相良氏の歴史、
ゆかりの品などが展示され、謎の多い遺構「大井戸遺構」があります。

      
                 (クリックで拡大)

 大井戸遺構(相良内蔵助屋敷の地下室)
人吉城跡では、井戸のある地下室が2つ発見されている。 1つは、「人吉城歴史館」の中庭にある地下室遺構で、2つ目はこの大井戸遺構である。 地下室遺構は、寛永17年の「御下の乱」を描いた人吉城絵図によれば、 家老を務めた相良清兵衛の屋敷内にあった2階建ての「持仏堂」に、 大井戸遺構は、その息子の内蔵助の屋敷内にある「蔵」と書かれた建物の位置に相当するようである。 2つの地下室は、石段の降り口、踊り場、方形の大型の井戸、黒色の小石敷き、 その下のスギ板式など、構造が良く似ている。江戸時代の初期に建造され、 寛永17年(1640)7月の「御下の乱」の直後に破壊されて埋められていた。 特殊な目的の為に造られた井戸と推定されるが、全国では同様な遺構の発見例がなく、謎の多い遺構である。 今回、実物展示のため、石積みの復元修理を行い、 上部に推定される建物と同じ規模(9m×7m)の覆屋を建設し、休憩施設とした。-案内板より


 人吉城歴史館(城址西側・大手門側)から見た城址中心部


         
           日本100名城スタンプ
               人吉城(93)



                                 つづく







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